背中の証
先日

地方の
とある温泉に行った際
時間がちょっと遅めだったこともあって
浴場に僕以外誰もおらず
ひとりで湯船に浸かっていた

そんな状況の時に
ふと
おっちゃんが浴場に入ってきて

そのまま
一番端の洗い場へ行き
黙々と体を洗い始めました

すぐに気がつきましたが
そのおっちゃんは
背中に刺青が入っていました

う~ん
こういう人たちも人目を気にして
何かと大変なんだなぁ
韓国あたりでは
サウナに行くと
決まって刺青の入ったヤクザみたいな人が
一人や二人いるものですが
日本では
最近すっかり見かけなくなりましたしね

と
誰もいない時間帯をぬって
一人ひっそりと
体を洗う刺青のおっちゃんを
何気なく遠目で見ていて

つらつら思ったことですが
昔ながらの刺青っていうのは
(最近のファッションとしてのタトゥーは除いて)
刃物などで体に傷をつけ
そこに墨などを入れる行為ですが

う~ん
意味としては
一生堅気にはならない
つまりは
一般社会と断絶して
極道として生きるための
いわば
証みたいなもの

…ですかね
まあ
ヤクザとしての威厳
親分に対する仁義
そしてたぶんに
脅しの武器
さらには
覚悟や勇気
…の証明かな

と
ここで証明について思うのですが
一体
証明って何でしょうか

威厳や仁義に
果たして証明が必要なのでしょうか

わざわざ証明しなければならない覚悟や勇気って
どれほどのものでしょうか

目に見えないと言われれば
それまでですが
う~ん
なんとも薄っぺらいような気が
しなくもない

要は
証明さえできれば
もう内実はいらない
つまり
証明というのは
実際に
覚悟や勇気があるかないかではない
本音は
あってもなくてもどっちでもよい
文字通り
その“お墨付き”が大切なわけでして

そう考えると
結局
刺青って
建前なのかな…

印鑑とかと同じ
日本社会の習わしに過ぎないのかな…

もちろん印鑑が大切じゃないとか
そういうつもりは全くないのですが
なんとも妙に俗っぽい話になるなぁ

と
刺青のおっちゃんの
寂しそうな背中を眺めていて
ついつい
そんなことを思った次第です

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