映画『エレファント』
2003年製作のアメリカ映画
『エレファント』
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監督は『マイ・プライベート・アイダホ』など
数々の秀作を発表している鬼才
ガス・ヴァン・サント(1952〜)
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本作は1999年4月に発生し
当時全米を震撼させたコロラド州のコロンバイン高校銃乱射事件をモチーフにした
ドキュメンタリータッチのドラマです
実に13名が殺害されたこの凄惨な事件の当日を
高校生たちのありふれた日常を通して淡々と描いています
本作の極めて特異な点
それはサント監督が
事件が起こった背景や原因
少年たちが犯行に及んだ動機やその有無を
“これだ”と決めつけたり、絞り込んだりしていない点にありましょう
監督いわく
短絡的になるのであえて答えを提示しなかったんだそうです
なので映画を通して
観る者一人一人が自由に解釈できるような
独特の撮り方をしています
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本作には主人公が実質、いない
というより正確には、複数いる
まあ主人公というより
映画を構成する上での主要な登場人物たちですね
本作では高校生の中からピックアップされた数名をパートごとに分け
彼ら彼女らの視点でそれぞれ描写していきます
ユニークなのは
例えばA君とB君が廊下でばったり会ってやりとりする
そこを第三者が通り過ぎるシーンでは
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同じ場面が三者三様の角度から映し出され
観ていて不思議な感慨を覚えます
こちらは2人の少年が犯行に及ぶ直前
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両方からの視点です
後々ゾクッとさせられます
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またカメラワークも秀逸で
高校生たちが校内を歩いていく様
特にはその背後を捉えたショットが多用され
手持ちカメラの長回しで追い続けることで
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その人物像、目線、背景、興味対象から取り巻く人間模様までを
さりげない日常とともにリアルに捉えます
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と
つまりはそうした人物の視点、学生たちの主観的な眼をなるたけ多く提示し
また事件と無関係な日常のたわいもないシーンをあえて散りばめることで
自ずと生じる、ある種の客観性
その複眼的な視点の中には
加害者も被害者も第三者も含まれていて
正反対のいろんな立場の視点を獲得することで
次第に浮かび上がってくる全体像
これはある意味、神に近い視点ともいえましょうか
そして上述したように監督は
極力ありのままの映像を提示するのみで
答えをどこまでも観ている側一人一人に委ねているのです
それはそうと
高校生たちの無邪気でありきたりな日常を捉えた映像の
この不気味なまでの平穏さ
時に美しく優雅ですらあります
と同時に
嵐の前の静けさのような
ただならぬ空気感を全編に漂わせています
観ている方は
この後に起こる惨状をあらかじめ知っているので
事件前の日常がなおのこと恐ろしく感じられ
ジリジリとした焦燥感や
なかば祈りにも似た思いに駆られます
やがて訪れる惨劇
動機が今ひとつはっきりしない2人によって引き起こされる悪夢
ゲームのようにバタバタと殺害される不条理
つくづく、切なくやるせない…
映し出される映像の
なんという恐ろしいまでの臨場感
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平凡な一日が突如変容する様
穏やかな日常とその後の地獄絵図との
この圧倒的なギャップ
漂う虚無感…
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さっきまでの平凡な光景が脳裏にこびりついて離れません…
ふと
若者って一体何なのか
映画は
一瞬のきらめきと狂気を秘めた高校生たちの本質を
リアルに映し出すことで
矛盾に満ちた現代社会の闇を
観る者に突きつけます
いやあ
鬼才サントによる映画表現の地平を開く実験的な試み
あらためて
本当にすごい映画です
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