余白の存在
つくづく
余白って大事だな
と思う今日この頃です
つい
どうにも
埋めたくなったり
空けたくなったり
…しますが
どんなことも
その絶え間ない繰り返しでしょうかね
例えば
それは
頭の中や胃袋の中だったり
はたまた
スケジュールの中
部屋の中
さらには
絵の中(!)
おお
余白のバランスが絶妙な
セザンヌの
《リンゴと鉢植えの桜草のある静物画》(1890)
↓↓↓
こちらは
先日撮った写真の中
空と樹々のバランスが大事
↓↓↓
と
余白が全くなくなると
息が詰まるような圧迫感を覚え
逆にスカスカだと
物寂しくなって空虚な気持ちになる
う〜ん
どっちかに偏る
なんてことはなく
絶えず
振り子のように
行ったり来たり
埋めたり空けたり
を繰り返して
動き続けている
ふと
そうした
絶え間ない運動のことを
人生
と呼ぶのかもしれません
人は生き続けるかぎり
ずっと運動を続けている
決して立ち止まることがない
それは
まんま
呼吸のことを
指しているともいえますが…
空気を
吸う=埋める
吐く=空ける
逆にいえば
止まるということは
死を意味する、と
おっと
話を戻して
つまり余白は
程よい遊び
ゆとりとも言えますかね
というわけで
余白の最適値
最もバランス的に美しいとされる
黄金律を探し求めて…
って
う〜ん
一体何の話かわからなくなってきましたが
結論
ああ
たまにはいい絵画でも観に行きたいなぁ
おまけ
こちら
赤い余白(⁈)が印象的な
マティスの《赤いアトリエ》(1911)
↓↓↓
今日までの貴重な時間を雑念でいっぱいに詰め込んでしまいました
今はゆっくり気ままに過ごしながら掻き出しています。
ご無沙汰しております。いつも楽しみにブログを拝見しております。映画批評も「昔取った杵柄」で開眼させてもらってます。また、日々の逆風の中でもさらりとかわしながら包み込むような文章にも人柄が表れていてほっこりしております。また機会がありましたらお会いできるのを楽しみにしております。