映画『田舎司祭の日記』
1951年のフランス映画
『田舎司祭の日記』
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世界に屹立する孤高の作家
フランスのロベール・ブレッソン(1901-1999)
の長編監督3作目にあたります
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北フランスの村に赴任した若き司祭は
身体の不調を覚えながらも
任された教区で精一杯
布教と善行に励んでいた
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しかし純粋で生真面目な彼の言動が
村人たちから思わぬ反感を買い
次第に孤立していき
やがて予期せぬ事態に直面してしまう…
と
映画は
司祭が綴る日記を通して
彼が聖と俗の狭間で苦悩する日々を
日を追うごとに心身を疲弊していく様を
冷徹な視点で丹念に描写していきます
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う〜ん
どこまでも静謐な映像
端正で禁欲的な画面構成
若き神父の孤独で陰にこもった様
神父としての任を全うしようとするあまり
つい行き過ぎた使命感を見せ
空回りしてしまう
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若さゆえの
融通の効かない頑なな態度
人々の信認を得るどころか
むしろ避けられてしまい
村人たちから悪意ある言葉を受ける始末
それにしても
次第に病に蝕まれていく様子と相まって
ほとほと観ていて痛ましいですね…
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しかしブレッソンは本作において
この苦難の只中にある若き司祭に対し
同情はおろか
ヒューマニスティックな感情のかけらすら
示す気配を見せません
映画は“聖なる苦悩の虜”に苛まれるこの司祭を
容赦のない視線で見つめ続けます
司祭の若さ故の感情の乱れ
信仰心の揺らぎをも
容易に見逃さず
試練に直面する司祭を
その内的葛藤を
カメラは映し続けるのです
つくづく
これはブレッソンの宗教観の如実な表れで
神への忍従を是とし
どのような結果であれ
神の思し召しであると捉えるスタンスに貫かれた宗教観
つまりブレッソンは
この司祭が最期まで悩み苦しむ姿そのものに
信仰心の本質を見出したのです
そしてあらためて
そうした背景に基づいた演出術
素人俳優の起用や抑揚のない演技
無駄を削ぎ落としたミニマルな演出など
ブレッソンの特異な映画技法のまさに萌芽が
本作をもって明確に垣間見れることになります
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というわけで
『田舎司祭の日記』
いやあ
すごい映画
本作はただならぬ緊張感をはらんだ
ブレッソン初期の傑作です
おまけ
こちらは以前ブレッソン作品について
僕が書いたブログ記事です
◎映画『バルタザールどこへ行く』→こちら
◎映画『ラルジャン』→こちら
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