映画『情事』

世界の映画史において

1960年はいわば当たり年と言われていて

この年は特に世界を驚かすような

画期的な作品が

数多く生み出されました

以下

代表的な作品をズラッと列挙

◎『サイコ』

ご存じ

サスペンスの神様

ヒッチコックの代表作

後世に与えた影響は計り知れません

◎『勝手にしやがれ』

フランスのゴダールの長編デビュー作

従来の映画論法を無視し

既成の価値観をぶち破るアナーキーな精神に溢れた

ヌーヴェルヴァーグの記念碑的作品

◎『去年マリエンバートで』

意識の流れを映像化した

フランスの鬼才、アラン・レネの前衛的な傑作

◎『処女の泉』

神の沈黙をテーマにした

スウェーデンのベルイマンの衝撃作

◎『太陽がいっぱい』

アラン・ドロンをスターにした

ルネ・クレマンの傑作サスペンス

さらに

◎『若者のすべて』

高度経済成長を遂げたイタリアの

ある南部の一家族の崩壊を冷徹に見つめた

ヴィスコンティの力作

◎『甘い生活』

そしてこの年のカンヌ最高賞を受賞した

言わずと知れた

フェリーニの傑作

他にもイギリスやブラジル

また日本においても

松竹ヌーヴェルヴァーグといった

新しい潮流が生まれ

世界各地で映画が

にわかに活性化していきます

そんな中

しかしもう一本

今までにない全く新しい表現スタイルで

世界中に賛否の渦を巻き起こした映画が登場します

イタリアの

ミケランジェロ・アントニオーニ監督の

『情事』です

いやあ

まあそんなわけでして

前回に引き続き

アントニオーニの世界に迫っていきたいと思います

ということで

『情事』

奇妙な映画です

映画全編に漂う空気はまったりとしてけだるい

音楽はほとんど使われず

それ故か

テンポも悪く遅々として話が進まない感があります

そのかわり波しぶきや風の音などの現場音がやけに強調され

かえって耳障りな気もします

観ているあいだ中どうも落ち着かず

しつこくつきまとう不安感を拭い取ることができません

セリフも少なく

映画はただ淡々と進行してゆきます

ストーリーはいたって簡素

夏の終わり

外交官の娘アンナと建築家の恋人サンドロが

友人達とクルージングに出かける

アンナはサンドロの自分に対する思いに

一抹の不安を抱いている

そんな感情のもつれが原因かどうか定かでないが

途中立ち寄った無人島で

アンナは忽然と姿を消してしまう

いなくなったアンナを皆で捜すが、いっこうに現れない

生きているのか

死んでいるのか

動機も何もはっきりしない

そうしてあちこちアンナを捜索してまわるうちに

サンドロはアンナの親友クラウディアに思いを馳せるようになってゆく

懸命にアンナを捜しつつも

次第にサンドロに心惹かれていき

それ故、罪悪感にさいなまれるクラウディア

やがて二人は情事を重ねるようになる

いつしかクラウディアは不条理にも

アンナを捜していながら彼女が現れるのを恐れるようになってゆく

サンドロがどこかでアンナと会っているのではないかと

絶えず不安におびえるクラウディア

ラスト

別の女とキスしているサンドロを目の当たりにし

絶望に駆られるクラウディアと

そんな浅はかな自分自身を嘆くサンドロ

山の見渡せるベンチで虚しく寄り添う二人

↓↓↓

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う~ん

どうも不可解でスッキリしません

ストーリーは成立してはいるが

一切の説明が省かれ

ただ延々と風景と人物たちが映し出されるのみ

ストーリーそのものよりもむしろ

激しく打ちつける波や無人島のゴツゴツした肌触り

↓↓↓

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シチリアの荒涼とした風景

虚しく情事を重ねる男と女などが

シンボリックに散りばめてあり

観終わった後

そうした断片の数々がいつまでも印象に残ります

またあの謎の失踪は何の意味があったのか?

何故いなくなってしまったのか?

そもそもあの女は存在していたのだろうか?

等など様々に思いを巡らすことになります

何かを主張するでもなく

劇的なドラマが待っているわけでもない

登場人物に感情移入することもままならず

強いて言えば

男の不誠実さを自分の中に認めつつ

それを見せつけられることに

違和感を覚えたりもします

う~ん

この映画に漂う不穏なムード

全編を覆う不安感は

そのまま当時のイタリア社会を反映するものでした

一般常識や既成概念に対する漠然とした疑問

穏やかな日常に潜むかすかな不安

これは高度経済成長に浮かれるイタリアの未来に対する

アントニオーニの深い危惧の表れでした

彼はそうした時代の空気を的確に表現したのです

そして改めて強調すれば

この映画はただひたすら

不安孤独を表現することに終始しています

どんよりとした空

波しぶきを上げる海

閑散とした街角

全てがここでは主人公の不安孤独の産物なのです

何といっても

クラウディアを演じたモニカ・ヴィッティが出色です

↓↓↓

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映画に求められる不安感、倦怠感を

うつろな眼、憂い顔、佇まい一つで

見事に体現して見せます

↓↓↓

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この映画では

よく乱れる美しいブロンドの髪が

特に印象的で

心のざわめきを象徴的に表す小道具となっているようです

↓↓↓

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カメラワークも心理描写に加担します

アンナを捜す最中

船室でいきなりサンドロにキスされたクラウディアの心の動揺を

船上に据えられたのであろう

揺れ動くカメラで表現します

また映画全編にわたり

カメラは露出オーバー気味で

それ故ことさら白が強調され

特にぼんやりとかすんで見える空と

ヴィッティの肌の白さが

不安感をいっそう増幅させます

アントニオーニは

人物と事物を等価に見ているようです

というより

人間を取り巻く大自然や街並み、その他諸々の事物を

人物と同じくらい重要に扱っています

アントニオーニの映画で描かれる風景は

ある種

絶対的な存在であり

完璧な空間を形成しています

そこに何の迷いも揺るぎも感じられず

カメラを通したアントニオーニのまなざしには

風景に対する諦念にも似た境地が窺えます

そして人間は

そうした絶対的な構図の中の一つのオブジェとして

他の事物と同じように存在するだけのこと

アントニオーニにとって

人間とは常にそんな存在です

無力ではかなく

移ろいやすい感情を持った不確かな存在

そうした心情を

ロングで捉えた岩山での人物たちのうごめきや

大自然の中に取り残されたような男女の姿などを通して浮き彫りにします

さらには同じ構図の中に収まってはいても

人物同士の関係は

どうもうまく噛み合わない

一体感がない

人物たちはあくまで単体で存在しています

そこからは

薄っぺらな人間関係が否応なく露呈します

コミュニケーションの不在による断絶は避けがたく

その溝は埋まることがありません

アントニオーニは

人間のちっぽけさ

浅はかさ

そこからくる孤独感、空虚感を

事物との関係を通して象徴的に表現したのです

『情事』のラストは不条理そのもの

絶望する女が

己の情けなさに涙する男にそっと寄り添う

男と別れられない女

欲望を断ち切れない男

もはやこの空虚な状況から抜け出すことはできず

出口のない迷路を永遠にさまよっているかのよう

う~ん

『情事』はあらゆる意味で新しかった

アントニオーニがこの映画で提示した

不安に覆われた世界観は

のちにイタリア社会のみならず

世界中を席巻することになる

反体制運動を予見させる一本となった次第です

というわけで

冴えわたる

アントニオーニ節

圧巻です

いやあ

すっかり趣味全開の今日この頃でした

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