確たる自分

つくづく

人はなんだかんだ

自分の日頃の言動を

倫理や道徳に結びつけようとするもの

そこに何の因果関係もない

にも関わらずです

例えば

誰も見ていないところで

ゴミをポイ捨てしたとしても

コソコソと他人の悪口を言ったとしても

それが原因で自分に災いが起こる

なんてことは

まずありません

でもだからといって

大の大人なら

倫理や道徳に反するようなことを

わざわざしませんよね

(まあ昨今の度重なる不倫報道などは

ちょっと置いといて…)

それはなぜでしょうか⁈

う~ん

それは長い目で見れば

因果関係がないわけではない

と思っているからではないでしょうか

これは科学的な根拠とかではなくて

いわば

信仰

のようなものですかね

人は弱い生き物

何かにすがって生きるのが常です

悪いことが起こった時に

ああ

あの時

自分が道理に反することをしたから

こんなことになったんだ

あの時

あんな態度をとっちゃったから

きっと神様のバチが当たったんだ

などと

つい結びつけて考えてしまうもの

って

もとい人は大小あれど

過ちの一つや二つは犯すもの

でもそれをやったことに対して

人が見ている、見ていないに関わらず

バレた、バレないに関わらず

自分自身

少なからず

良心の呵責にとらわれるわけです

そうした自責の念が

目に見えない抑止となって

人は己を律し正すのです

それが人間ですよね

話が少し逸れましたが

何はともあれ

人は弱く

何かを拠り所として生きるのが常

ということは

自分は天に誓って

決してやましいことはしていない

あるいは

日々徳を積む

という倫理や道徳に裏付けられた

何らか確たるものが

自分の中にあれば

自ずと精神は安定し

肝も座ってくるというもの

他ならぬ

自分自身に対する

揺るぎない信頼

自信というものが

養われてくるのかな

というわけで

いやあ

結局

この世は

心のありようで

決まるのかもしれませんね

つくづく

おまけ

1945年に福岡刑務所で

27歳という若さで獄死した

朝鮮の民族詩人

尹東柱(1917-1945)の有名な詩集

『空と風と星と詩』

↓↓↓

IMG_9057.jpeg

…より

『序詩』の冒頭を引用

「死ぬ日まで天をあおぎ

一点の恥じ入ることもないことを

葉あいにおきる風にすら

私は思いわずらった

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