金子光晴『絶望の精神史』
平成も
もうまもなく終わり
という今日この頃に
ふと
この一冊
↓↓↓
反骨の詩人
金子光晴(1895-1975)
↓↓↓
本書は
自身生きてきた明治、大正、昭和の間
つまりは戦前、戦中、戦後を通して
自ら見聞した絶望者たちを綴った
痛烈なエッセイです
“絶望者”という表現が
いかにも詩人の金子らしい
本書には
金子が出会った様々な人たちが綴られていますが
中には正視に耐えない
悲惨な境遇を経た人もいて
しかしある種
軽妙な語り口と言いましょうか
金子のシニカルでユーモアのある側面が
全編を覆っていて
つい引き込まれてしまいます
それは本書がどこまでも
「自身の体験や直接の見聞に基づいて、体験談的に筆をすすめてみよう」
というスタンスで書かれているので
より主観的でリアルで
説得力があるんでしょうね
と、元来の反骨心もあって
金子は戦前から
軍国主義にひた走る日本のその
いわば精神風土に嫌気がさして
度々海外に出国し
東南アジアやフランス、また中国などを
時に妻を伴って
なかば放浪するようにして過ごします
そこでいろんな人と出会うわけですが
出会った日本人たちの中の多くに
“近代日本の絶望”を垣間見
そうした絶望をもたらした
日本の島国の風土性や時代性
精神のありようを
徹底的に突き詰めてみようと思うのです
要するに
戦前の軍国主義も
戦後の民主主義も
何より鮮やかな転換を果たした
日本人のあり方を
この詩人は
はなから疑ってかかっているんですね
そういう意味で終盤に
「絶望の姿だけが、その人の本格的な正しい姿なのだ。それほど現代のすべての構造は破滅的なのだ…」
と吐いています
う〜ん
あらためて
突きつけられますね
時が経ち
平成の世が終わろうとしている今日においても
なお
真摯に向き合うべき命題かな
というわけで
最後に
金子光晴の詩を
以下の詩集より抜粋
↓↓↓
『冬眠』
眠れ。眠れ。眠れ。眠れ。
さめてはかない仮の世に
ねてくらすほどの快楽はない。
さめてはならぬ。さめてはならぬ。
きくこともなく、みることもなく、
人の得意も、失態も空ふく風、
うつりゆくものの哀れさも背に
盲目のごとく、眠るべし。
それこそ、『時』の上なきつかひて、
手も、足も、すべて眠りの槽のなか、
大いなる無知、痴れたごとく、
生死も問はず、四大もなく、
ふせげ。めざめの床のうへ、
眠りの戸口におしよせて、
光とともにみだれ入る、
世の鬼どもをゆるすまい。
(1925年)
と
もう一つおまけに
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