映画『5時から7時までのクレオ』

1962年製作
フランス・イタリア合作の
『5時から7時までのクレオ』
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監督・脚本は
ヌーヴェルヴァーグを代表する女性監督
アニエス・ヴァルダ(1928-2019)
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彼女の半世紀以上にわたる
輝かしいキャリアにおける初期の傑作です
…
夏のパリ
シャンソン歌手のクレオは
病院の診断結果を待っていた
自分が癌なのではないかと
ジリジリと不安に苛まれるクレオは
結果が出るまでの間
パリの街中をあてどもなくさまよう…
映画は
主人公クレオが実際に過ごす
ある日の午後5時から7時までを
リアルタイムで追っていき
彼女が癌に怯えながらも
やがて心の平静を取り戻していく様を
モノクロで映し出される現実を通して
瑞々しくもリアルに描いています
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って
予算の都合でしょうが
リアルタイムで進行する形式をとった
ヴァルダの大胆な試み
およそ2時間という限られた枠内で
主人公が行動可能なパリのロケ地を選定し
そこで撮影を敢行
臨場感溢れるパリの雑踏
さりげない日常の断片
ゲリラ撮影ゆえの
街を行き交う人々の視線が生々しく
風景の長回しも多用され
映画は
ほぼドキュメンタリーの風合いを宿します
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そうした中でも
不安や焦燥に駆られたクレオの暗い表情
嘆き悲しむ姿が
早いカットで度々映し出されます
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全編にわたり鏡が多用され
現実に材を取りながら
繊細な女性心理が
巧みに表現されます
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と
しかし劇中
やがてクレオは
どういう心境の変化か
身に纏っていたウィッグや豪華なガウンを脱ぎ捨て
つまりは虚飾や体裁から解き放たれ
シンプルな黒いドレスのありのままの姿で
パリの街並みへと
ひとり飛び出していきます
クレオは
街の空気に触れ
様々なものを見聞きし
友人や見知らぬ人たちと接したりするのです
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と
本作は冒頭
タロット占いで
クレオに災いの兆候が示されるシーン
(唯一のカラー撮影)から始まるのですが
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映画のトーンは
重苦しいものかというと
実際そんなことはなく
つまりは
クレオの心象風景ともいえる
パリの街並みが
明るく活気のあるムードに満ちていて
よくよく
クレオの持つ
さらには
演じるコリーヌ・マルシャンが醸し出す
どこか快活で形式ばらない感じが
即興的なロケーション撮影と相まって
作品に豊かな味わいと不思議な余韻をもたらしています
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そうそう
劇中
新曲のリハーサルでピアノを弾くのは
本作の音楽も手掛けた名作曲家
ミシェル・ルグラン
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さらに
クレオが映写室で
サイレントのコメディを観るシーンにおいて
映画の中で演じているのが
なんと
ゴダールとアンナ・カリーナ(!)
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思わぬカメオ出演ですね
と
物語の終盤
街の喧騒から離れて
緑豊かな公園を歩いていた彼女は
アルジェリアから休暇で戻った兵士のアントワーヌに声をかけられ
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つかの間
2人は行動を共にし
互いに心を通わせ
そうするうちに
クレオは次第に心穏やかになっていく
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クレオは
アントワーヌと病院へ行き
構内で医師とばったり会い
そこでおもむろに医師から
放射線治療が必要で必ず治ると告げられる
結果を聞いたクレオの表情に
もはや不安や戸惑いは感じられず
彼女はむしろ晴々として
「私はもう怖くないみたいだわ
なにか幸せな感じよ」
と呟く
そうして2人は
互いに愛を交わし見つめ合って
映画は終わりを告げます
ふぅ
つくづく
死の恐怖に直面した
ひとりの若い女性が辿る
孤独の遍歴
女性が自分の人生を生きるに至る
哲学的なまでの道程
それが息づくパリの様子と
絶妙に絡み合った
ヴァルダの才気溢れる演出
いやあ
もう圧巻の一語ですね
というわけで
『5時から7時までのクレオ』
これは傑作
今更ながら
必見です
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おまけ
ヴァルダの映画について
以前書いた記事です
◎『幸福』→こちら
◎『顔たち、ところどころ』→こちら
◎『ラ・ポワント・クールト』→こちら
◎『冬の旅』→こちら










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