映画『恋愛時代』

1994年製作の台湾映画
『恋愛時代』
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監督は
7本の長編と1本の短編を遺して早逝した
台湾が誇る鬼才
エドワード・ヤン(楊徳昌、1947-2007)
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大都市・台北を舞台に
富裕層に属する若者たちが抱える空虚感と
各々の人生の転機を
3日間の中に映し出した群像劇です
…
西洋化と経済成長が急速に進む
1990年代前半の台北
財閥の娘モーリーは
自身の経営する広告会社がうまくいっておらず
婚約者アキンとの仲も思わしくない
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モーリーの会社で働く親友チチは
モーリーの仕事ぶりにいつも振り回され
役所に勤める恋人ミンとも
ギクシャクした関係が続いている
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テレビ番組の司会者であるモーリーの姉は
かつて恋愛小説の名手と
持て囃された夫ラリーと別居中
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モーリーとチチの同級生で
舞台演出家のバーディは
お金に困っていて
盗用問題に怯えていた
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…などなど
彼らを軸に
同級生・恋人・姉妹・同僚など
10人の男女の人間関係
時に目まぐるしい恋模様が
3日間という凝縮された中で交差していきます
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映画の冒頭
「論語 子路篇」
孔子、冉有(ぜんゆう)を供に衛国へ
孔子「大した人口だな!」
冉有「次に必要なのは?」
孔子「豊かな生活だね」
冉有「では豊かさの次は?」
それから2,000年後
台北はわずか20年の間に
世界で最も裕福な都市の1つとなった
…という
モノローグのテロップが流れて
物語は始まるのですが
2,000年前の儒教的理想が実現された
現代社会(=台北)において
果たして
人々は幸福になったのだろうか…
映画は問いかけます
ヤンは
東アジアの伝統的な価値観が
現代資本主義社会において
崩れてしまった様を
つまりは
経済的な繁栄が増すにともなって
精神的な貧困がもたらされるという
いわば”孔子の困惑”を
現代の都市を生きる若者たちを通じて
象徴的に提示してみせるのです
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う〜ん
本作は一見
トレンディードラマのような
華やかな物語設定ながら
その実
描かれるのは
経済発展を遂げた台北における
物質的な豊かさの先にある
精神的なカオスと空虚感
登場人物たちは
どこか表面的で
恋愛に依存していて
本当に望んでいるものが
自分でもわからず
内心のところで
悩んでいる様子が見てとれます
にわかに炙り出されるのは
人生の目的を見失った
現代人が抱える心の闇…
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って
60年代に
フェリーニやアントニオーニが
提示したペシミズムが
90年代のアジアで再構築され
このような形で映像化されるなんて
なんとも面白いですね
本作においては
とりわけ
ヤンの映画に特徴的な
大都市に宿る孤独感と
アイデンティティの空洞化が
如実に表現されています
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と
映画は
明快な帰結があるわけではなく
現代都市における
愛や倫理の不確かさを残したまま
終わりを告げます
つくづく
物語を紡ぐ構成力
入り乱れた人物たちのキャラ設定
陰影の濃い画作り
的確なショットの積み重ね
ヤンにしてはちょっと珍しい
軽快なタッチといい
本作においても
彼の卓越した演出が随所に光ります
というわけで
『恋愛時代』
いやあ
あらためて
エドワード・ヤンの傑作の一本
必見です
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おまけ
ヤンの作品について
以前書いた記事です
◎『恐怖分子』→こちら
◎『牯嶺街少年殺人事件』→こちら










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