映画『鏡』

1975年の旧ソ連の映画
『鏡』
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監督は
世界を魅了するロシアの映像詩人
アンドレイ・タルコフスキー(1932-1986)
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本作は
彼の幼少期が投影された
自伝的要素の濃い作品で
過去と現在を往復しながら
そこにロシア現代史を重ね合わせることで
より象徴的で重層的なイメージに包まれた
タルコフスキーを代表する一本です
…
冒頭
TVで先生に矯正されて
吃音が治る少年の様子が映し出されます
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何らかのバイアスがかかっていて
うまくいかない
それを適切に取り除くことによって
眠っていた遠い記憶や情景、イメージ
そして本来の姿が
にわかに立ち上がる
本作のテーマを予見する
象徴的なオープニングです
…
死期が迫る作者アレクセイ
病床の彼が心に抱き続ける
母への思慕や
別れた妻、息子への想いなどが
過去の記憶や夢
潜在的なイメージとなって
走馬灯のように表出する…
アレクセイの幼少期の記憶
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母が農場の柵に腰掛けている
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そこに医者だと名乗る男が現れ
取り止めのない言葉を交わし
風の吹くなか遠ざかって行く
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美しい田園風景
まるで目に見えない”猫バス”が駆け巡るように
突風が吹き
草木が大きくなびく…
物語に起承転結はなく
過去と現在
少年の頃の遠い記憶
おぼろげな夢
現実と想像、イメージ
実際の記録フィルムなどの
映像の断片が
時系列を交錯させつつ
混ざり合っていきます
と
少年時代の主人公アレクセイと現在の彼の息子
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また
アレクセイの母と現在の彼の妻
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をそれぞれ同じ役者が演じています
この二者が対となっている
つまり
タイトルにあるように
鏡の関係を成しているのです
ここが一見すると
ワケわからなくなってしまう要因のひとつでしょうか
観る者は作品の構造を容易に掴めないまま
まるで輪廻のような感覚にとらわれ
夢幻の迷宮を彷徨うことになります
…
散りばめられた作者アレクセイの記憶
そこに横たわるロシア現代史
息づく政治状況のリアリティ
静謐な森
雨に濡れた草花
幼い子たちの過ごす穏やかな時間
ゆっくりと動くカメラ
屋根に滴る水
燃え盛る納屋…
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水と火の鮮烈なコントラスト
う〜ん
なんて美しいシーンでしょうか
その光景を
ただ呆然と見つめる少年時代の自分と妹
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と
この火事を境にして
父は家族の元を去って行く…
少年アレクセイの中に
深く沈澱した記憶では
“火事”と”父の不在”が
イコールとなっているようです
ふと
モノクロの世界
ここは夢の中でしょうか
夫が妻の髪に水をかけてあげる
やがて部屋中が水浸しになり
壁に水がしたたり
廃墟のように天井が崩れ落ちていく
その様を
スローモーションで捉えます
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流れる音
この
水に覆われた深遠なイメージ
なんとまあ
幻想的な美しさでしょうか
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1930年代
印刷所に勤めていた母が
印刷物の校正ミスをしたかと思い焦り
活版の文字を急ぎ確認しに出かける
チラつくスターリンの肖像画
誤植が体制批判という政治的意味を持ってしまう懸念
ドストエフスキーの『悪霊』を引用しての
友リーザとの諍い
スターリン独裁時代の暗い記憶…
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また
作者の隣室で
スペイン人たちが闘牛について話している
インサートされるスペイン内戦のニュース映像
第二次世界大戦の記憶
またソヴィエト初の飛行船の映像
街中を舞う紙吹雪
ダヴィンチなど絵画の本…
と
ひとり留守番をするイグナートに対し
ふと現れた老婦人が
ある書簡を読み上げるよう促す
タタール人の破壊行為に対抗し
独自のキリスト教文明を築いたロシアを讃える
プーシキンの言葉の一節を朗読するイグナート
しかしまもなく老婦人は
幻のように消えてしまう
カップの痕跡が消えていくテーブル
作者の脳裏にたしかに存在する記憶の断片…
う〜ん
それにしても
映像が意図する繊細なニュアンスを
言葉で表すのって難しいですね
うまく書けない自分がもどかしい…
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少年時代
人々の口から吐かれる白い息
寒い雪のロシアの道を歩き
射的場で軍事訓練を受けた思い出
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再びインサートされるニュース映像
レニングラードでの第二次世界大戦における
過酷な戦争の記憶
死体の数々
ベルリン陥落
ヒトラーの遺体
原子爆弾の映像
毛沢東による中国文化大革命の模様…
ふぅ
エイゼンシュテインのモンタージュを彷彿させつつ
その実
これはタルコフスキー自身の
パーソナルな記憶の断片の
無秩序なコラージュに他なく
そこになんらかの
意味や法則性を見出そうと考えること自体
多分に意味をなさず
ただ流れる映像に身を任せて
タルコフスキーの内面世界に没入するのみかな
と思う次第
そして
タルコフスキー自身のナレーションによって
実父アルセニーの詩が
少ないセリフと反比例して
饒舌に語られます
…
母が生活の足しにしようと
宝石を売りに行った家で
少年アレクセイが
ランプの明かりに照らされながら
鏡に映る自分を見つめる
この内省的な眼差し…
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と
スローモーションで捉えた
風でざわめく草花
木の枝から落ちる水
水が流れ出すと
夢か想像か
無意識下のイメージの中に入り込む
ベットの上に浮かぶ母
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繰り返されるイメージ
森のせせらぎ
鳥の囁き
幼い頃の記憶…
家の中の衣類や布、カーテンなどが
風でゆっくりと噴き上がる…
水、火、風、木々、廃墟…
垣間見る感情の繊細なひだ
記憶と空想のおぼろげな産物
そして
今も夢に見る
母への思慕の念が
ロシアの美しい田園風景の記憶のなかに
ゆっくりと融解していく…
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詩的で
静謐で
幻想的な映像世界
つくづく
なんという独創性でしょうか
きわめて難解な作風ながら
この
ため息の出るような
美しく豊穣な映像の断片に
観る者は
酔いしれずにはいられません
というわけで
『鏡』
稀に見る映画
タルコフスキーの
パーソナルな内奥に触れる
この魅惑の世界観
いやあ
今更ながら
これぞ真の傑作です
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おまけ
タルコフスキーの作品について
以前書いた記事です
◎『ノスタルジア』→こちら
◎『ストーカー』→こちら
◎『アンドレイ・ルブリョフ』→こちら










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