映画『欲望という名の電車』

1951年のアメリカ映画
『欲望という名の電車』
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本作は
テネシー・ウィリアムズの
同名の戯曲の映画化で
ヴィヴィアン・リーと
マーロン・ブランド共演による
言わずと知れた
心理ドラマの名作です
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監督は
ギリシャ系アメリカ人の名匠
エリア・カザン(1909-2003)
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カザンは
その輝かしいキャリアの一方で
1950年代の”赤狩り”の時代に
非米活動委員会によって
自身、共産主義の嫌疑をかけられ
司法取引に応じる形で
友人である劇作家・演出家・映画関係者ら11名の名を
同委員会に告げてしまい
これによって世間から裏切り者として
非難を浴びることになります
その後、カザンは
『波止場』(1954)
『エデンの東』(1955)など
キャリアを重ねていくのですが
この汚点は終生にわたり
彼の人生に影を落とすことになります
まあよく知られた話ですね
…
港湾都市ニューオーリンズ
Desire(=欲望)と表示された路面電車から
ひとりの孤独な未亡人が降り立つ
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彼女ブランチは
アメリカ南部の名家に生まれるも
一家は財産を使い果たして没落
身一つで妹のステラを頼って身を寄せる
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しかし妹の家は二間の狭いアパートで
妹の夫スタンリーは
貧しい職工で粗野な男だった
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ブランチの言動は
情緒不安定な上にお嬢様気取りで
それがいちいち気に障るスタンリー
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ブランチも
暴力的なスタンリーを嫌い
共に家を出ようとステラに訴える
だがステラはスタンリーから離れられず
子どもも身ごもっていた
ブランチは心の平静を失いかけながらも
スタンリーの友人ミッチとの出会いに
新たな人生の希望を見出そうとするも
荒んだ過去が暴かれ
更にスタンリーに襲われたことで
ブランチは精神的に追い詰められ
そして破滅する…
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物語の対立軸として位置づけられる
ブランチとスタンリー
本作においては
2人の本質的な価値観の違いが
いみじくも露呈します
ブランチは
現実の苦しさに耐えられず
美しい幻想の中に生きています
一方のスタンリーは
どこまでも現実を直視する男
この”幻想”と”現実”の激しい衝突と
それによってもたらされる悲劇が
作品全体を貫いているのです
さらに言えば
ブランチは
没落した南部貴族社会を象徴し
対するスタンリーは
移民の労働者階級で
戦後アメリカの新しい価値観を体現しています
つまり本作は
旧時代から新時代へと押し流される話と言えましょうか
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とまあ
何はともあれ
主演2人による
この火花散らす演技合戦ですね
ヴィヴィアン・リーは
『風と共に去りぬ』のスカーレットと
まさに正反対のキャラで
現実逃避におぼれながら
徐々に精神が崩壊していく
うらぶれた未亡人の女性を
鬼気迫る表情で熱演
本作でアカデミー主演女優賞を獲得します
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そして
若き日のマーロン・ブランドの
圧倒的な存在感(!)
終始危険な光を放っていて
何せカッコいいのなんの…
その野獣のような荒々しさと
繊細な一面を併せ持ったメソッド演技は
当時の映画界に新風を巻き起こし
後世に多大な影響を及ぼします
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と
つくづく本作は
カザンの卓越した演出の
これ賜物ですね
物語の大半を占める
狭いアパートの中の
ただならぬ緊張感
逃げ場のない空間で繰り広げられる
人物たちの息詰まる心理戦
密室劇ならではの張りつめた空気が
画面全体に充満しています
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というわけで
『欲望という名の電車』
あらためて
人間の弱さや孤独を浮き彫りにした
濃密な人間ドラマの力作
いやあ
今更ながら
必見です
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