赤ちゃんという存在
うちのベビーもまもなく5ヶ月
正直
目を見張るスピードで成長しています
表情がとにかく目まぐるしく変化し
“どっちに似てるか”という
このどこまでも平和ボケな議論が
繰り返される毎日
娘の顔は
僕とかみさんの(またその親の)間を
絶えず行ったり来たりしていますが
まあどっちにしろ
アジアンテイストですね
そうそう
最近は人見知りをし始めました
たまに実家に
赤ちゃんを見せに行くのですが
明らかに自分の家とは違う表情をします
家では声を張り上げて
笑ったり騒いだりするのに
実家では借りてきた猫みたいに
おとなしくなります
まあ慣れれば解消するんでしょうけど
これはちゃんと空気が読めている証拠
外に買物や病院などに行っても
神妙な顔をしてじっとしています
そして許容範囲を越えたら
せきを切ったように泣き出すのです
それにしても赤ちゃんの磁力というか
パワーってすごいですね
道を歩いているときなどでも
特に年配のおばさんやおじさんから
本当によく声をかけられます
最近も
かみさんが電車の中で
缶ビールを飲んで座っていた
サングラス姿のこわい風貌のおじさんに
席を譲ってもらったそうです
おもむろに立ち上がって
一瞬ビビったかみさんに
「どうぞお座り下さい」
と言われたそうです
そうしてうちの赤ちゃんに
慈愛(⁈)
のような眼差しを
サングラス越しに向けていたそうです
ホントかよ〜
まあ
どんな人でも赤ちゃんを見ると
なぜか皆
途端に優しい顔になりますよね
赤ちゃんには人を癒す
強力なパワーが備わっているようです
とても神聖な存在なのですね
こちらは
《女性の三時代》の一部をトリミングした作品
クリムトの《母と子》(1905)
↓↓↓
そして
つい忘れがちなんですが
誰でも
昔は
みんな
赤ちゃんでした…
いつのまにか大人になる過程で
聖から俗へと移行していき
まあそうやって
人間になっていくんでしょうね
でもやがて老境にさしかかるにつれて
赤ちゃんがえりという言葉の通り
また聖に戻っていくんでしょうかね
でも僕ら大人も
俗世間にどっぷり浸かってはいても
やはり聖なる特質は
どこかに残っているものと信じたいですね
良心や徳などは
教わって備わるものではなく
その人の中に本来あるものだと思いますしね
そして誰もが赤ちゃんに引き寄せられるのは
そうした自分の中に眠っている
“聖性”
を呼び覚ましてくれるから
なのかも知れませんね
おっと
それはそうと
だんだんウンチのにおいが
俗っぽくなってきたぞ~
それはそれで
やっぱりうれしいけど…
というわけで
バカ親街道まっしぐらの今日この頃です
クリムトの『母と子』を見て、心を揺さぶられました。
母と子の強い絆が伝わって来ます。
先日、十数年ぶりに美術館に行きましたが、芸術に触れて感性を磨くことが大事ですね。
日頃の当たり前の光景を見て、感動できるのは、自分の感性が高まっているということでしょうか。
クリムトの絵を見て、そんなことを感じました。
>大麒麟さん
芸術はいいですね~。
感性を磨く最高の機会だと思います~!