こなれ感
つくづく
人は
本質的に
嘘がつけない生き物なんだな~
と思います
例えば
本などで仕入れたネタを
人にそのまま伝えても
説得力も何もあったものではありません
さも自分が経験したかのように
語っても
書いても
どうにも熱が低かったり
細部のリアリティが欠如していたりして
結局のところ
相手の心に響かない
自分の言葉じゃないということが
おのずと露呈してしまうのです
つまりは
自分に嘘はつけないということ
そもそも
自分自身が他人の衣だってことを
自覚しているわけですから
その真意がそのまま
相手に伝わってしまうのでしょうね
また
例えば
新品のメガネをかけた後って
どうも
自分ではしっくりこなかったりしませんか⁈
そのメガネが
目になじむ
顔になじむまで
少し時間を要するように思います
つまり自分の顔の一部として
こなれてくるまで時間がかかるのです
このこなれ感は
他にもいろいろと見てとれます
例えば
書いた文章を
あえてしばらく寝かせておき
そのあと加筆修正をかけていくことで
次第に生まれてくるこなれ感
ちょっとしたアイデアを
自分の中で温めておく
時間とともにそのまま置いておく
そのアイデアがやがて発酵し
商品としてこなれていく
ワインの熟成にも似た話ですね
と
まあこうしたテーマを語る上で
最もふさわしいのが
俳優ですかね
よく若い役者さんなんかで
演じる役柄が
実年齢とかけ離れていたりすると
着ている服や身につけている小道具などが
とにかく浮いちゃって
まさに
服を着ているのではなく
服に着られている
そんなお粗末な光景を
しばしばTVなんかで見受けます
その点
いわゆる名優と呼ばれる役者さんは
違いますね
まあ服でいえば
着こなしの達人
名優とは
どんな人物を演じても
自分になじむ
こなれた感じが出せる人
そもそも役者は
他人を演じるわけですから
違和感が生じて当たり前
でもその演じるキャラクターの中に
自分との共通点を見い出し
そこに自分自身を
嘘偽りなく投影できる
う~ん
そうなるとやはり
多くの引き出し=人生経験が
ものを言うわけでして
やはりそこから立脚した
人間力が勝負となるんでしょうか
先日TVで
『北の国から』が
一挙再放映されていまして
久しぶりにずっと観ちゃいました
いやあ
もう毎回号泣ですよ…
と
放映の際に
演出の杉田成道監督のインタビューが
流れていたのですが
そこで興味深い話がありました
出演者たちは
実際の撮影を行う前に
およそ数ヶ月間
北海道で事前準備をするそうなのですが
なんと
その間
撮影で着用する衣装を
普段からずっと着たまま
生活するんだそうです
衣装が自分の服として
身体になじむようにするためなんだそうです
数ヶ月も着続けるため
オーバーが擦り切れたり
セーターが伸びたり
毛玉ができたりするわけですが
それは本人が実際に着ている中で
生じたものなので
当然
リアリティーがありますよね
杉田監督は
脚本の倉本聰さんに言われたそうです
大きな嘘はついても
小さな嘘はつくな、と
つまり芝居という
どこまでも偽りの世界にあっても
演じる際の細部を決してごまかしてはいけない
見えない部分であろうと
偽らずにきっちりと役を生きることが
ドラマに真実味をもたらすんだ、と
お
五郎さん最高です
↓↓↓
いやあ
これはとても大事なこと
結局は
何をしても
自分自身が自ずと透けて表れるということ
そこは隠し通せない
そして
どんな事でも
自分が経験して
自分事としてこなれるまでに
ある程度の歳月が必要ということ
そこは妥協することなく
誠実に向き合わないといけない
ということですね
こなれ感とは
これすなわち
自分の血となり肉となる感覚のこと
あらためて
そのために必要な
最もわかりやすいエネルギーは
時間…
時間は決して嘘をつかない
ということですね
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