寺山修司没後30年
詩人、俳人、劇作家、作詞家、写真家、映画監督などなど
様々な分野で活躍しつつも
47歳という若さで夭折した
寺山修司(1935~1983)
↓↓↓
文学、演劇、映画
はたまた競馬やボクシング評論など
様々なジャンルを横断し
常に時代を挑発し続けた
この稀代のマルチクリエイターの
没後30年を
今月5月4日に迎えることから
寺山の作品を回顧する企画や展示会が相次ぎ
ただいま巷で
ちょっとした寺山ブームが起こっています
いやあ
大好きです
寺山修司といえば
なんといっても
1967年
“見世物の復権”を唱えて結成された
前衛劇団「天井桟敷」が有名ですね
当時のアングラの聖地
渋谷の天井桟敷館の前に立つ寺山
↓↓↓
僕は
世代的に「天井桟敷」は知りませんで
主には
数々の詩やエッセイ
そして何より映画を通して
寺山ワールドに触れたくちです
1935年生まれの寺山は
学生の頃から
俳句や短歌、詩で
その早熟ぶりを発揮します
やがて戦後日本が
アメリカの庇護の下
経済発展を遂げ
先進国へと上り詰めていく過程で
にわかに生じた反体制運動と
それに呼応するように噴出した
カウンターカルチャーの時代に
寺山は
大衆とは一線を画す
前衛芸術
いわゆるアングラの急先鋒として
独自の世界観を
様々な分野で表現していき
一躍、時代の寵児となっていきます
彼は
その47年の生涯において
189冊の著作本
長短編合わせて23本の映像作品
「天井桟敷」だけで30本以上の戯曲
他にも膨大な数の
作詞やシナリオなどを残しています
いやはや
その仕事量の多さには
ただただ驚嘆するばかりですが
彼は
例えば「天井桟敷」での
ゲリラ的な市街劇などに見られるように
常に時代のアジテーターでした
そして
寺山修司は
自身の創作の原点
いわばバックボーンである
故郷の青森の風景や
母への思慕の念を
美しい叙情性と共に
まがまがしい虚構で塗り固め…
聖と俗が渾然一体となった
まさに幻想と官能
何より情念の世界観を創造しました
その
研ぎ澄まされた言葉と
挑発的な映像の数々…
う~ん
寺山ワールドは何でもあり
吹き溜まりです
娼婦やゲイ、フリークスのような
いわば社会的弱者たちを
自作に好んで取り上げ
価値観の多様性や
人間的な豊かさを
独自のロジックで展開し続けました
ここらへんはフェリーニとかぶりますね
それにしても
つくづく僕は
共生の
具体的なビジョンやあり方を
ここに見る気がしますね
ということで
おや
書店に寺山関連の本がズラリ並んでいまして
つい買ってしまいました
↓↓↓
また
先月4月には
寺山の主な映像作品が
一挙上映される企画も開催
↓↓↓
主要な作品を
以下にピックアップ
◎『書を捨てよ町へ出よう』(1971)
↓↓↓
寺山初の長編劇映画
実験精神溢れる野心作です
◎『田園に死す』(1974)
↓↓↓
青森の恐山を舞台に
自歌集「田園に死す」に基づいた自伝的作品
◎『草迷宮』(1978)
↓↓↓
寺山映像美の最高峰の呼び声高い中編
あの三上博史のデビュー作
◎『さらば箱舟』(1982)
↓↓↓
マルケスの「百年の孤独」をテキストに
虚構の歴史を描いた遺作
◎『上海異人娼館』(1980)
↓↓↓
ドイツの怪優クラウス・キンスキーを
主演に迎えたヤバイ映画です…
他にも
奇怪でシュールで
自由奔放な発想に富んだ
実験映像の数々など…
いやあ
一筋縄ではいかないものばかりです…
ところで寺山は
1970年
漫画「明日のジョー」の力石徹が死んだ時
なんと
自らが喪主となって
力石の葬儀を執り行っています
まあ有名な話ですね
この時、寺山は弔辞も書き演出もしています
う~ん
まさに事件ですね
◎『ボクサー』(1977)
↓↓↓
ボクシング好きの寺山
唯一のエンターテイメント映画で
本作はほとんど「明日のジョー」ですね
ちなみに寺山は
「ジョー」のアニメの主題歌の
作詞もしています
というわけで
いやあ
あらためて
寺山最高です
お
先日
渋谷駅で見かけた
タワーレコードのポスター看板です
↓↓↓
「あしたは きっとなにかある
あしたは どっちだ」
いつもありがとうございます。
大変勉強になりました。
時間のたつのは早いものですね、もうそんなにたっていたなんて。
子供心に、この人は生涯かけて追いつけない大人だと感じさせてくれる方でしたが、改めてそんな若さでいってしまわれたのかと、自分の年齢と比べて感慨ひとしおです。
>(株)第二営業部さん
コメントありがとうございます(^^)。
ある意味、彼は決して人に底を見せない術に長けていたと言えるでしょうね。
まこと戦略家だったと思います。