映画『マリア・ブラウンの結婚』
映画評です
1979年製作
ドイツのライナー・ヴェルナー・ファスビンダー監督の
『マリア・ブラウンの結婚』
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ファスビンダーは
1982年に
37歳という若さで急逝
しかしその短い生涯にも関わらず
発表した作品は
およそ16年間で44本にも及び
ドイツ新時代を告げる
“ニュー・ジャーマン・シネマ”
の旗手として
世界の映画界を牽引
でも
まあオーバーワークだったんでしょうね
死因もコカインの過剰摂取です
まさに生き急ぐかのように
怒濤の勢いで
映画を撮り続けた
伝説的な監督です
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そんな数々の力作を量産した
ファスビンダーの代表作で
ドイツの底力を世界に知らしめた傑作が
本日ご紹介の
『マリア・ブラウンの結婚』です
第二次世界大戦末期の1944年から
ナチス降伏、敗戦を経て
戦後の復興
本作では
西ドイツがサッカーのワールドカップで初優勝を遂げた
1954年までの
激動の約10年間を
一人の女性の生き様を通して描いた人間ドラマです
以下、ネットよりストーリーを一部転載
第2次世界大戦下のドイツ。爆撃の中で結婚式を挙げたマリアだが、その翌日に夫は戦地へ。戦後、夫の戦死が知らされ、アメリカ兵の恋人ができたマリア。ところが、恋人と過ごしている最中に死亡したはずの夫が帰還。マリアは恋人を殺してしまうが、夫が罪をかぶり投獄。その後、マリアは実業家オスワルトの秘書兼愛人となり経済的に自立するが…
…
まさに波乱万丈
ドラマチックなストーリー展開
と
この映画は
いわゆるコテコテの
メロドラマです
ファスビンダーには
かねてから
リスペクトを表明してやまない監督がいまして…
戦前にナチスの弾圧を逃れて
アメリカに亡命し
ハリウッドで活躍した
ドイツ人監督のダグラス・サークです
サークは1950年代の
アメリカの中流家庭を描いた
いわゆるメロドラマの傑作を
次々世に放ち
“メロドラマの巨匠”とうたわれた人物
彼の映画によって
1950年代のアメリカ中流家庭の
イメージが形作られたと言われているほどです
そんなサークに傾倒した
ファスビンダーは
物語が持つ強度
メロドラマが人々にもたらす感情の高揚
それをもって
観る者の心を解放する
そんな映画のあり方を志向し
サークの作風やテイストを
自作にどんどん反映させていったのです
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と
そうは言いましても
サークが
40~50年代アメリカの典型的な中流家庭像を
正攻法で描いたのに対して
ファスビンダーが描いた世界は
往々にして
敗戦国ドイツが辿った苦難の現代史
様々な矛盾や退廃がはびこる世界
つまり題材となる舞台を
ドイツの負の歴史に重ね合わせることで
メロドラマの形式をとりながらも
いわゆる一般的なそれとかけ離れ
よりリアルで複雑
いびつでドロドロとした
そんな濃密な物語世界を創造したのです
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本作の主人公
マリア・ブラウンも
戦争で夫を亡くした悲劇のヒロインとして
気高く凛として生き抜く…
なんてイメージとはおよそ程遠く
狡猾で打算的
エロスと退廃の匂いを至る所にまき散らす
アンチヒロインぶりを発揮
しかし数々の苦労を重ねながら
強靭な意思でたくましく生きていく姿に
より現実的で自立した女性像を垣間見ることができ
現代においては
むしろこっちの方が共感を覚えるはず
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マリアが愛人である
実業家のオスワルトに対して
「あなたが私と関係したのではなく、私があなたと関係したのよ」
と言うセリフが
ひときわ印象的です
とまあ
演出はメロドラマだけあって
全編
なんとも過剰…
観ていて食傷気味になりがちです
場面場面にいちいち効果音が入り
大げさです
足し算なんですよね
そして
乱高下するストーリー展開や
激しくデフォルメされた人物造形
役者たちの誇張された演技などは
ともすれば演劇とも見紛うほどです
しかし
そうした諸々の要素が相まったことで
にわかに生まれる
この饒舌なまでの
一種異様な世界観
映画そのものが
まるで巨大なエネルギーの塊のようです
そしてナチスによる戦争の悪夢から
一転
急激な変容を遂げていく
戦後ドイツの混沌と矛盾を
マリア・ブラウンという
一人の女性が一身に体現します
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主演のハンナ・シグラの
そのいかにもドイツ的な
清濁を呑み込んだ
神々しいまでの存在感が
観る者を圧倒します
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物語の終盤
やがて夫がマリアの元へ帰ってきたとき
マリアは戦後の混乱期が終わったことを見定め
自分が今まで
生きるために犯してきた背徳
“罪”を
あたかも償うかのように
自らの命を絶ちます
(ネタバレです…)
ラスト
自宅の部屋で
ガス爆発を起こし
自死するまでの
一連のシーンに
かぶる
西ドイツの
サッカー・ワールドカップ決勝戦の
実況中継の模様
アナウンサーの興奮した声
ゴールを決め優勝が決まり
歓喜の渦に包まれた
まさに
その瞬間の
悲劇です…
マリア・ブラウンは
ナチスの退廃や狂気
戦後の復興を成し遂げるための
不屈の意思、したたかさの
まさに象徴
つまりは
動乱期の女でした
決して
安定期を生きる女ではなかったんですね
そこを自覚し
ワールドカップ優勝という
まさに戦後のドイツ復興を
象徴する出来事の
直後に
自らケジメをつけます
う~ん
この強烈なコントラスト
男前です
ラストが衝撃的です
これはファスビンダーなりの
ドイツの戦後処理
過去を清算するための儀式の
意味合いすら感じとることができます
おっと
いやはや
なんだか映画同様
すっかりクドい文章になってしまいました
まだまだ書き足りないくらいですが
きりがないのでこのへんで…
というわけで
ファスビンダー渾身の一作
メロドラマの持つパワーを
是非とも体感あれ
相変わらず文章に引き込まれてしまいます。メロドラマを少しバカにしてましたが、見方が変わりました。ネタばれされても(笑)見たくなる気持ちになりました。
いつも楽しみをありがとうございます。
>(株)第二営業部 教授さん
いつも長文をわざわざ読んで頂き、本当にありがとうございます^ ^。