ヴィスコンティ芸術の神髄
前回に続き
ヴィスコンティ芸術の神髄に迫ります
ネオリアリズムの洗礼を受け
マルキズムに傾倒したヴィスコンティでしたが
体内に流れる血に目覚めるのに
そう時間はかかりませんでした
いくつかの作品を手がけた後
次第に自身のバックボーンである
貴族の世界を
映画で表現し始めることになります
それが最も顕著に表れた最初の作品が
大作『山猫』(1963)でした
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ヴィスコンティはこの映画で
舞踏会に象徴される貴族社会を
リアリズムで描ききります
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映画のセットに用いられる家具や調度品、衣装類など
全て本物を取り揃え
貴族が生きた時代を
完璧な時代考証に基づいて
豪華絢爛に再現しつつ
やがて来るべき貴族社会の終焉の時を
静かに
それでいて冷厳な眼差しで見つめ続けました
ヴィスコンティは貴族であることに
自身のアイデンティティーを見出し
それに誇りとロマンを抱き
創作の原点としていましたが
その一方で
そうした貴族階級が
もはや過去の産物であることを
誰よりも痛切に感じていました
そしてこれがまぎれもない現実である以上
貴族という身分に
いつまでも安穏としているわけにはいかない
ヴィスコンティは
ネオリアリズムで培った現実に対する鋭い眼を
今度は己自身に向けたのです
彼は貴族の名を冠した冷徹なリアリストでした
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ヴィスコンティは
この避けて通れない現実を前にして
自分が何をなすべきなのか
自問自答を繰り返します
そうして自身の拠り所である貴族=旧世代が
新世代に取って代わる現実を真正面から見据え
それ自体をして
映画の題材に転化せしめたのです
彼が単なる耽美派でない所以は
まさにこの点にありましょう
ここに至ってヴィスコンティは
古い秩序
つまりは
自身の出自である貴族階級に象徴される
滅びゆく者への耽美的なロマンチシズムと
現実を厳しく見据える怒涛のリアリズムの
両極を内包した
独自の世界観を構築したのです
また彼は舞台の演出も多く手がけ
とりわけオペラに造詣が深く
そこで得た手法を映画に取り込み
『夏の嵐』(1954)を完成させています
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イタリア映画黄金期を共に支え
双壁とうたわれた
フェリーニとヴィスコンティですが
フェリーニが庶民をこよなく愛し
その根底にサーカスを据えて映画を創造していたのに対し
ヴィスコンティは貴族の血を重んじ
その文化であるオペラを象徴とし
あくまで芸術としての映画にこだわり続けました
なんとも対照的で面白いですね
他に近親相姦をテーマにした
サスペンス仕立ての重厚なドラマ
『熊座の淡き星影』(1965)も傑作でしたね
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クラウディア・カルディナーレが
猫のような鋭い眼光で妖艶な魅力を発散
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そうしていよいよ円熟期に突入
ナチズムの狂気を
ある鉄鋼王一家の没落になぞらえて描いた
デカタンスの極致
『地獄に堕ちた勇者ども』(1969)を発表
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それから『ベニスに死す』(1971年)を経て
(以前書いたブログをご参照→こちら)
芸術に耽溺し狂気の淵に沈んでゆく
バイエルン国王ルートヴィヒ2世の生涯に
これでもかという執拗さで肉迫した
『ルートヴィヒ』(1973)を発表
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上記の“ゲルマン3部作”をもって
“退廃の美学”を
至高の芸術的領域にまで昇華させます
ヴィスコンティは『ルートヴィヒ』撮影中に
心臓発作で倒れるも
これを執念で完成させ
その後も
老いと孤独、家族のあり方を問うた傑作
『家族の肖像』(1974)を発表
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そして遺作『イノセント』(1976)に至るまで
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己の芸術に対する飽くなき欲求は
終生衰えることがありませんでした
生涯で発表した作品は全部で17本
全てがいずれ劣らぬ傑作揃い
映画界にその名を轟かせた巨人
ルキノ・ヴィスコンティは
気高い精神と強靭な意志で
70年の生涯を
芸術と共に力強く生き抜きました
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