映画『神々のたそがれ』

2013年製作のロシア映画

『神々のたそがれ』

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監督はロシアの異才

アレクセイ・ゲルマン(1938-2013)

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本作は製作におよそ15年もの歳月を費やすも

そのほぼ完成直前に監督が急逝

息子の手によってようやく完成したという

いわくつきの作品です

とゲルマンの映画は

僕はそれまで一本しか観たことがありません

『フルスタリョフ、車を!』

という奇妙な映画でして

まあわけがわからない内容ながら

強烈に印象に残っていますね

がしかし

この遺作『神々のたそがれ』は

それをはるかに凌駕する破壊力

まるで従来の映画の常識や概念を覆すような

そんな底知れぬパワーを持った映画

と言えるかもしれません

以下、ストーリーをサイトより引用

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とある惑星の都市アルカナル

地球から800年ほど遅れ、中世ルネッサンス期を迎えているかのようなこの地に、地球から科学者・歴史家らの調査団が派遣された

しかし彼らが目にしたのは、権力を持った商人たちによる圧政、殺戮、知的財産の抹殺であり、20年が経過しても文化発展の兆しは全く見られない

地球人の1人、ドン・ルマータは、知識と力を持って現れた神のごとき存在として惑星の人々から崇められていた

だが政治に介入することは許されず、ただただ権力者たちによって繰り広げられる蛮行を傍観するのみであった

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とまあ

そんなストーリーはホントさておき

なんですよ

目の前に映し出された

モノクロの悪夢のような光景は

一体何なんでしょうか

水と炎と煙と泥と汗と唾と嘔吐と糞尿とがないまぜになった

まさに掃き溜めのような世界が

なんと延々3時間

所狭しと映し出されていきます

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知性や理性

はたまた

20世紀にいたって大きく発展を遂げた 科学の力がまだ遠く及ばない

野蛮で宗教的な生々しい中世的世界観

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しっかしまあ

よくぞ撮り上げたものです

こんな映像いまだかつて見たことがありません

殺戮された人間の死体

無造作にこぼれ落ちる臓物

野放しの馬や牛、豚、猿、鳥、犬たち

それら散乱する死骸と

もう渾然一体

映画そのものが

まるで巨大な汚物の塊のようです

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そこで行われる人間のあらゆる営み、蛮行を

アップを多用した手持ちカメラで

粘土をこねくり回すがごとく執拗に捉えていきます

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って

実際多くの場面で

一体何が繰り広げられているのか

カメラが寄り過ぎていて

容易に判別できません

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アップで捉えた構図や視界を遮る障害物ゆえ

なかなか全貌があらわにならない惑星の異質な造形の端々や

画面から伝わる臭気

描き出される惑星の人たちの粗野なふるまいに

観ている間中

絶えずストレスを感じ

心底、辟易とした不快感

えも言われぬ疲労感を覚えます

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しかしこの映画

残酷でグロテスクな描写に満ち満ちているにもかかわらず

映画を貫く全体的なトーンは

実はむしろ明るい

まるで黒澤明の『どん底』や

フェリーニの映画に息づく祝祭的な混沌

あるいはサラエヴォ出身のエミール・クストリッツァの描く

スラブ民族の楽天的なノリにもどこか相通じる

そんな底知れぬ生命力が画面全体を横溢しているのです

つまるところ

この映画の舞台となった惑星とその住人たちとは

現代を生きる我々の姿そのもの

この映画は

中世への退行の道をたどる

現代文明への痛烈な警鐘

であると同時に

ゲルマンが

人間の根源や原初の姿を執念で創出した

いわば世紀の叙事詩と言えましょうか

う~ん

しっかしこの映画

正直もう二度と観たくありませんが

つくづくこんなすごい映画は

おそらくこの先

もう二度と観ることができないでしょうね

いやあ

アレクセイ・ゲルマン恐るべし

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