映画『ペーパー・ムーン』
映画評です
先日久々に観ました
1973年製作のアメリカ映画
ピーター・ボグダノヴィッチ監督の
『ペーパー・ムーン』
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1930年代アメリカ中西部を舞台に
母親を亡くした少女アディと
実の父親かもしれない詐欺師モーゼとの
つかの間の旅を描いたロードムービーです
いやあ
大好きな映画です
何度観てもいいですね
演じる二人
詐欺師役のライアン・オニールと
当時わずか10歳ながら本作の演技によって史上最年少でアカデミー賞を受賞した
少女役のテイタム・オニールは
実の親子
う~ん
長回しによる道中の二人の掛け合いが
とにかく絶妙で息ぴったりです
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顔も似てるし性格も似た者同士の二人
はたから見ると親子そのものなんですが
あくまで自分の娘じゃないと言い張るモーゼがおかしいですね
この映画のポイントは
引き算による慎ましさ
何より潔さにあります
まずカラー映像を封印
深い陰影のあるモノクロの画面にすることで
30年代アメリカのノスタルジックで情感豊かな世界観を創出
そして少女アディのある意味、表情を封印
作り笑いは得意ですが
終始大人びた表情でまずめったに笑いません
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まあ正直
この映画はほぼアディに尽きますね
利発で生意気なとこが何せ可愛いんです
さらには親子の情を封印
この手の映画にありがちなセンチなムードと
それによって絶えずついて回る“お涙頂戴”を
本作は最後まで徹底的に排除しています
お互い親子かもしれないと薄々気づき
次第に愛情が芽生えつつ
でも最後の最後まで二人の距離は縮まらない…
劇的なクライマックスや感情的な高揚も
何ももたらさない
その終始一貫してさらりとしたトーン
カラッとした感じが
大恐慌期の30年代アメリカの
このどこまでも広がる荒涼たる風景や
人気のない街並みにものの見事にマッチして
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観ている側は…
う~ん
それでもラストは思わずほろっときちゃいます
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それにしましても
登場人物たちが妙にリアルでいいんですよね
誰とでも一夜を共にする場末のダンサーの女と
ぶつぶつ文句を言い続ける使用人の黒人の少女
密造酒の売人と私欲を肥やす警官
不気味な農家の家族などなど
南部(中西部)独特の不穏で陰湿な雰囲気が
画面の端々に漂っていて
しかしそれは大恐慌の時代背景のもと
底辺を生きる市井の人々の悲哀や
狡猾で腹黒い生の姿をも同時にリアルに映し出しているわけで
そこらへんのディテールが本当によく描かれています
また30年代当時のクラシカルな車や
建築物や家具、調度品などもアンティークで味があり
何よりパナマハットに三つ揃いのスーツというモーゼの
田舎紳士然としたスタイルが
これが野暮で胡散臭く
それでいて粋なんですよね
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ところで本作のタイトルの意味ですが
劇中、カーニバルで撮ったアディの写真を
物語の大切なアクセントにして…
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紙の月(=偽の親子)を本物の月(=実の親子)と見紛う
二人の関係を象徴的に表しています
というわけで
映像も脚本も俳優の演技も編集のリズムも一貫して変わらないトーンも
古き良きアメリカのヒット曲を盛り込んだ音楽も
もうすべてがこれ以上ないくらい
見事に組み合わさり
完璧なムード、世界観を構築
『スティング』や『チャイナタウン』などもそうですが
稀に完璧な映画ってあるんですよね
もう今後二度と出ないでしょうね
こういうの…
まさに傑作です
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