『ジャコメッティ展』続き

前回に引き続き
『ジャコメッティ展』報告です
《ディエゴの胸像》(1954)
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針金のような細長い人物立像と並び
多く残されているのが
ゴツゴツした表面の胸像で
やはり細長い人物造形となっていますね
モデルは弟のディエゴです
ちなみにジャコメッティは
せっかく創り上げた作品を
気に入らないと言っては
途中で破壊してしまうことが
しばしばだったのですが
現存している彼の作品の相当数が
ジャコメッティが寝ている時に
こっそり鋳型を取っておいた
ディエゴによるものと言われています
面白い話ですね
《男の胸像》(1950)
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より無造作な
まるで走り書きのような風合いの彫像ながら
伝わってくるのは
言いしれぬ味わいとリアルな存在感です
と
かの実存主義の哲学者
ジャン=ポール・サルトル(1905-1980)は
『絶対の探求』
と題したジャコメッティ論を遺しています
一部抜粋
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「彼はまず最初に人間を見た通りに、つまり距離を置いて、彫刻することを想いついたのである。
世のそもそもの始まりに身を置こうというジャコメッティの自負と意思とを見別けるためには、あの大洪水前期を想わせるような彼の顔をしげしげ眺めるまでもない。…」
時間の概念を無に帰するが如き
ジャコメッティの彫刻の普遍的な佇まいは
そのまま実存主義哲学の文脈で論じられ
そのリアルな表象として捉えられました
《ヴェネツィアの女》(1956)
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ヴェネツィア・ビエンナーレのために制作された
ボーリングのピンのように並べられた
9点の女性立像
マジマジ観ると
それぞれが少しずつ違っていて
ユニークといいますか
壮観ですね
《犬》(1951)
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どこまでもストイックに
人体にこだわって
創作に励んでいたジャコメッティが
息抜き的(⁈)に取り組んだ動物の彫刻
御多分に洩れず
やせ細った犬と併せて猫も展示
なんとも哀愁を感じます
またジャコメッティは
彫刻だけでなく
絵画も多く制作されていて
これがまた独特なんですよね
《マルグリット・マーグの肖像》(1961)
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ジャコメッティの人物画は
ほぼこのような正面を向いて
椅子に座った構図で
その上
顔もほとんどが黒く塗りつぶされています
…が
それでも容易に誰なのか判別できます
やはり時間の概念が希薄な
本質的なまでの存在感です
本展では
ジャコメッティの素描や版画、写真なども
多数展示
彼は日常の何気ない場面でも
絶えずデッサンを描いていて
例えばレストランでの朝食時に
テーブルの上のナプキンや朝刊の新聞に
モデルの顔を書き込んだりしていました
《肘をつくヤナイハラ》(1956-61年頃)
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手帳の1ページに
ボールペンで無造作に描かれたもので
対象はジャコメッティのモデルとして
交流があった日本人哲学者、矢内原伊作です
さあそして
本展最大の目玉が
3点のブロンズ像
こちらだけ写真OK
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チェース・マンハッタン銀行からの依頼で取り組んだ
ジャコメッティ最晩年のプロジェクトで
針金の骨組みに直に石膏をつけて
削ぎ落とす方法で制作されたものの
満足がいかず中断
結局このプロジェクトは実現せず
ジャコメッティの死後
石膏像をもとにブロンズで鋳造されたものです
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周囲を圧倒する磁力に満ちた
《大きな頭部》(1960)
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本作を制作中のジャコメッティ
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孤高の佇まいの
《大きな女性立像Ⅱ》(1960)
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“一瞬”と“永遠”の共生が垣間見えます
《歩く男I》(1960)
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彫像を取り巻く周囲の空気が
どこか歪んでいるような
そんな張り詰めた空間が形成されていて
とにかく圧巻でした
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とまあ
そんなこんな
この稀代の芸術家の全貌に触れる
まこと素晴らしい本展となった次第です
最後にジャコメッティに関する
映像や書物をご紹介
ジャコメッティの人となりや制作風景
その創作活動の全貌を捉えた
貴重なドキュメンタリー
『アルベルト・ジャコメッティ-本質を見つめる芸術家』
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またジャコメッティのモデルとして
親交が深かった日本人哲学者
矢内原伊作(1918-1989)が
ジャコメッティとの創作現場を綴った
貴重な記録で
モデルを前に日々格闘し続ける芸術家の
飽くなき姿や
二人の妥協なき対話を通じて浮き彫りにした
ある種の哲学書です
『ジャコメッティ』
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