客観視

まったりと
一杯やりながら
つらつらと物思いにふける…
↓↓↓
ふと
自分の子供を
まるで他人の子であるかのように
客観視してみる
すると
たちまち
自分の中を
ある種の恐怖心が覆います
ん
なぜ?
この感情は一体何だろうか
と
よくよく考えてみるに
これは
大切なものを失う恐怖に近く
ゆえにそうした感情にとらわれ
不安を覚えるのかな、と
客観視するということは
それだけ
自分と距離を置くということ
つまりは
自分から離れる
あるいは
自分が手放す
そうした感覚に近いでしょうか
そして
それによって
失う恐怖に
突如襲われる
と
つくづく
そういった感情は
どこか完全主義的な
ある種の潔癖さの表れのように
思えなくもなく
自分が100%掌握できない
コントロールできない領域も
多分にあるんだと
否応なく気づかされるということ
なので
手放す勇気
つまるところ
親離れ、子離れの
通過儀礼のひとつに
これは当てはまる話で
そうして人は
成長していく
まあ
自分の中に巣食う
エゴイズムという名の
執着心と
いかに向き合い
その上で
いかにして
フラットな関係性を築けるか
つまりは
自由な関係になれるか
この絶え間ないせめぎ合い
って
われながら
一体何の話だか
いよいよ分からなくなってきたぞ
おや
ちょっと飲みすぎたか
↓↓↓
というわけで
たまに
自分を客観視することを試みては
頭の中で
格闘を繰り返している
そんな今日この頃の
秋の夜長です
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