映画『アマルコルド』
先月まで無料動画アプリのGYAO!で放映していたので
トイレに入ってる間、ちょいちょい開いて観てたのですが
途中、スマホの小さな画面で観るのが
どうにももったいなく感じるようになり
結局、DVDであらためて鑑賞
1973年製作のイタリア映画
ご存じ
フェデリコ・フェリーニ監督の
『アマルコルド』
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フェリーニの少年時代を基にした自伝的要素の色濃い作品で
生まれ故郷の港町リミニのある一年間を
15歳の少年チッタの目を通して詩情豊かに描いています
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アマルコルドとは
リミニの方言で「私は覚えている」という意味だそうです
いやあ
久しぶりに観ましたが
やっぱ最高だなぁ
吹き上がった綿毛が街中を覆う春の訪れから始まる
珠玉のエピソードたち
街を挙げての祭りの賑わい
神学校や教会の堅苦しいあり様
イタリアらしい(⁈)家族団らんの様子
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映画館の暗闇がもたらす
そこはかとない
ある種のいかがわしさ
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日常の中に忍び寄る戦争の影
ムッソリーニ率いるファシズムの台頭
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おっと
精神病を患う叔父が巻き起こす騒動も面白い
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また霧に包まれた街の様子や
記録的な大雪に見舞われるエピソードも印象的ですね
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雪の中に突如舞い降りる孔雀に、目を奪われます
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映画は戦前のリミニにおける
とりとめのない日常やメモリアルな出来事を
幻想や空想、はたまた少年たちが抱く無邪気な妄想を交えながら
ユーモラスに綴っていきます
本作で描かれる各々のエピソードそれ自体は独立していて
互いに脈絡があったりなかったりで
一貫したストーリーがあるわけではありません
あくまで無造作に羅列された構成ながら
しかし観ていくうちに自ずと浮きぼりになる
リミニという小さな港町の全体像
何よりフェリーニのイメージする少年の日の豊穣な記憶が
おなじみニーノ・ロータの奏でるノスタルジックなメロディーと相まることで
やがてそこに普遍性が宿り
完璧な世界観が形成されます
さらには
際立つキャラ
カリカチュアライズされた
いかがわしくもグロテスクな
しかし愛すべき市井の人たち
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いい味出してる盲目のアコーディオン弾き
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チッタの憧れの女性で
映画スターとの結婚を夢見るあまり適齢期を過ぎてしまった
街一番の美女(⁈)グラディスカ
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フェリーニお気に入りの大女
煙草屋のおかみさんに弄ばれ軽くあしらわれる少年の日の思い出
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海辺に住む娼婦ヴェルビーナの存在
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いやあ
この全編を覆うノスタルジー
みなぎる情感
心満たされますね
そしてフェリーニ独特の遠近両用の構図
軽快なリズムに乗って画面を横溢する人たち
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街中が総出で小船に乗り込んで海へと繰り出し
豪華客船レックス号の到来を待ちわびます
やがて深夜
突如、皓々たる光を放って姿を現すその威容
見送る人々の歓声
自分たちとあまりにかけ離れた
遠く眩しい存在を目の当たりにしたゆえか
思わず涙するグラディスカ…
ふと
夜の海はビニール製の波で
巨大な客船もどこかファンタジックで作り物めいていて…
しかし
観ていて自ずと感情が躍り昂ぶるのを覚えます
本当に美しいシーンです
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終盤
チッタの母が病気で亡くなり、失意の中で葬儀を終えた後
再び春がやってきて
街の憧れのグラディスカがとうとう結婚
人々の祝福を受けます
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いつまでも続くかのごとき宴の喧騒と
やがて訪れる静寂…
そうして程なくして映画は終わりを告げます
少年が大人へと成長する過程で辿る
甘美で懐かしい思い出の数々
つくづく
手作り感満載の特異な造形が生む
イマジネーション豊かな味わい
つまるところ
フェリーニの映画に底流する人間味溢れる
その魅惑の世界観に
いやはや
ほとほと心酔している僕がいますね
というわけで
『アマルコルド』
忘れがたい名シーンに彩られた珠玉の一作です
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