信頼感
つくづく
判断を下す際に
個人的な感情
いわば私心が加わると
途端に
その判断は
大義を失い
公平さを欠き
妥当ではなくなるもの
そこにその人のエゴや本音
したたかな思惑が垣間見えると
たちまち底が知れて
興醒めしちゃうんですよね
…が
ふと
では
感情を排した判断が
これすなわち適正かというと
う〜ん
それもどうかな、と
やはり人間が下すわけですから
なんらか血が通ってしかるべき
でもそこに
自分に都合のいいような
解釈なり
願望なり
希望的観測なり
が入ってくるから
面倒くさくなる
胡散臭くなる
もとより
間違えてしまう
やはり
どこまでも
公明正大
無色透明
ニュートラルでオープンなスタンス
を心がけて判断を下すべし
…というのは
まあ
もっともな話ですが
それだけだと
現実問題
なかなか立ち行かないのも事実でして
物事はそう単純ではないかな
個人の思惑だけならまだわかりやすく
実際は
組織や上司、業界全体の利得などが
絡んできたりしますからね
忖度なんていう言葉が流行る所以です
と
そうなると
つくづく
大切なのは
判断を下した人、その人自身が
なんであれ
信頼に値する人物なのかどうか
ということになってきますが
その人の本質をいかに見るか
これがまた難しい話ですよね
僕なんか
ホント人を見る目がないからなぁ
何度も痛い目に遭ってますからね…
こればっかりはなんとも言えませんが
その人の言動や姿勢を通して
見え隠れする人間性
信頼感などから
推し量るしかありませんよね
そこらへんを
いろんな人と接したり
いろんな経験を通して
自分なりに培った目で見て
捉えるしかないかな
というわけで
一体
何が言いたいのか
よくわからなくなってきましたが
価値基準は
正しいか、正しくないか
ではなく
信頼できるか
信頼できないか
でしょうかね
おまけ
ふと
信頼できる人物ってどんな人かな?
って
僕が思い浮かぶイメージといえば
例えば
『評決』(1982)で
落ちぶれた弁護士を演じた
ポール・ニューマンでしょうか
↓↓↓
どん底を味わい
人間的な弱さをさらけ出しながら
それでも己の信念を曲げずに
一歩一歩進んでいく姿に
いやあ
自ずと共感と感動を覚えます
ポール・ニューマンが
弁護士稼業の悲哀と醍醐味を
リアルな説得力を持って
まこと魅力的に演じています
作品自体も観る者の良心に問いかける
本当に素晴らしい映画です
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