埋没する日々

つくづく

日々

溢れる情報に

埋没しがちな今日この頃ですね

あまりにも目を通さなくてはならない

情報が多すぎて

ホントそれを処理するので精一杯

って

そうはいいましても

なんだかんだ

自ら欲しい

興味のある

つまりは

関心のある情報それ自体が

実際のところ多すぎるわけでして

なんなら関心の輪を

自ら狭めちゃえばいいのですが

う〜ん

これがなかなかできない

どこかに有用で貴重なお宝情報が

眠っているんじゃないかと

つい欲張って

あれもこれも

求めてしまう僕がいます

そうしてほっといたら

新しい情報がたまっていく一方なので

ひたすら処理しようとこなすわけですが

よくよく

じっくりと

反芻したり

熟考したり

応用したり

の時間がない

結局それをしないまま

日々押し寄せる情報の処理に勤しむあまり

重要な情報それ自体も放置したまま

いつの間にか忘れてしまい

そういえば重要だったなぁ

程度に

かすかに思い出すだけで

すっかり色褪せた過去の遺物となって

例えば本棚の中で

永遠の眠りにつく

といった次第

って

う〜ん

つくづく

どこかで遊びの部分が必要ですね

どんなに忙しくても

そのわずかな余地だけは

どうにかして

確保しておきたいなぁと痛感します

とはい

たとえ流れ作業のように

日々情報を処理し続けたとしても

実はどこか

脳に蓄積されているのでは

とも言えますね

ある意味

日々鍛錬になっているのでは、と

まあしかし最終的には

それを自分なりのテーマに則って

再構築してこそ

オリジナリティが生まれるのであって

それをしないまま

埋蔵しっぱなしは

そりゃ

ちょっともったいない話ですよね

アウトプットの機会なり

何なり

自分発信の場などを通して

そこらへんを

意識的に鍛えていきたいものですね

つくづく

おまけ

決して色褪せないマティスの室内画

◎アンリ・マティス

《赤の調和・赤い部屋》(1908)

↓↓↓

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