映画『アザーズ』
ふと
僕は幼い頃
ある奇妙な思いにとらわれていました
目をつぶって頭に思い描くと
それは実現して
目を開けたまま頭に思い描くと
それは実現しない
という思い込みです
なので自分が願う結果を得るには
目をつぶって思い描くか
あるいは
目を開けている場合には
あえて反対のことを思い描くのです
どういうことかというと
例えば野球をやっていて
自分が打席に立ったとき
空振り三振する自分を思い描く
すると結果は
見事なクリーンヒットだったとか…
ハハハ
何それ⁈
って感じですが
まあ何の根拠もありませんが
一時そういう思いにとらわれていましたね
これにはあまり乱発してはいけない
という自分の中のルールがありまして
願いを込めるのは大体1日に1回までがいいところでしたね
そして目を閉じている時というのは
それは往々にして
夜、布団に入って眠りに落ちる間際の時間でして
そういうときは目をつぶりながら
自分がなりたいこととか叶えたいことを
あれやこれやと思い描いたものです
たとえば
ほしい漫画を買ってもらうとか
明日プールに泳ぎに行きたいとか
まあ
たわいもないことだったりしますが
でも目をつぶって願うと
叶うような気がしたものです
と
よくよく
そのような考えに至った大元の理由は
僕が思い当たる限りでは
おそらく小さい頃
夜寝る時に
目をつぶるのが怖かったからかなと思います
真っ暗な中から
お化けでも出るような気がして…
ゆえに布団に入って目をつぶる時に
つい自分にとって楽しいことや嬉しいことを
あれこれと想像するようになったのかもしれません
そうした中でいつのまにか上記のように
目をつぶる、つぶらないの思い込みを
自分の中で抱くようになったのかな
と自覚するところです
と
目をつぶるということは
瞼を閉じて見えなくすること
それはちょっと大げさに考えると
現実の世の中と
自分とを
遮断するということ
つまりは
現実の世界(=こちら側)と
反転した
夢の世界、想像の世界(=あちら側)が
目を媒介にして
存在し
どこまでも広がっているということ
って
それは往々にして
暗闇の世界なわけですが…
目が窓の役割を果たし
目を開けている時=現実、光、こちら側
目をつぶっている時=夢、闇、あちら側
となる
って
う〜ん
われながら
一体なんの話やら…
何の脈絡も関連もありませんが
観ていて
幼い頃、暗闇に対して抱いていた
漠然とした不安感や
イマジネーションに富んだ記憶を
いやはや
思わず想起させられましたね
ということで映画評
2001年製作
アメリカ、スペイン、フランス合作
スペインのアレハンドロ・アメナーバル監督の
『アザーズ』
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第二次世界大戦末期のイギリス、ジャージー島
広大な屋敷にひっそりと暮らす
神経過敏な母グレースと
光アレルギーを患う娘と息子
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そこへある日
使用人になりたいという3人の訪問者が現れる
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募集をかけていたグレースは
さっそく彼らを雇い入れるが
それ以来
屋敷では奇妙な現象が次々と起こりはじめ
ことあるごとにグレースを悩ませる…
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ゴシックホラーの趣き
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光アレルギーゆえに陽の光りを恐れ
蝋燭の炎などに頼って生活する子どもたち
暗闇の中で過ごすという不自然な状況が
どうにも意味深で
不穏なムードが増幅されます
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屋敷で何かが起きている…
度重なる不可解な出来事に
母親のグレースは感情をかき乱され
緊張の度合いがいや増していく
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何より出色なのが
母親を演じたニコール・キッドマンで
その神経質でヒステリックな風情や
氷のように透き通った白い肌が際立つ
クラシカルで硬質な美しさが
作品の世界観とものの見事にマッチしています
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それはそうと
本作は20年も前の映画で
結末を知っている人も多いかと思いますが
ネタバレ厳禁なので
これ以上はちょっと…
パラダイムの
鮮やかにして驚愕の転換
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不気味な人物造形
光と闇の強烈なコントラスト
ラストへと畳みかけるように収束していく
ストーリーテリングの妙
アメナーバル監督の的確な演出に
終始唸りっぱなしで
いやあ
よくできた映画でしたね
というわけで
『アザーズ』
幼い頃を思い出しつつ
暗闇に浸る愉悦を
しみじみ味わうことができた上質の映画
今更ながら傑作です
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