映画『ゆきゆきて、神軍』

1987年公開の日本映画

『ゆきゆきて、神軍』

↓↓↓

IMG_0557.jpeg

監督は数々の問題作で知られる鬼才

原一男(1945-)

↓↓↓

IMG_0638.jpeg

1982年、神戸でバッテリー商を営む奥崎謙三は

↓↓↓

IMG_0643.jpeg

仕事の傍ら

自ら「神軍平等兵」と名乗り

慰霊と戦争責任追及の活動を続けていた

↓↓↓

IMG_0641.jpeg

太平洋戦争において

凄惨を極めたニューギニア戦線の

数少ない生き残りの1人だった奥崎は

戦時中に所属した部隊で

終戦後、23日が経ったにもかかわらず

敵前逃亡の罪で2人の兵士が射殺されていた事実を知り

その真相を究明すべく

処刑したかつての上官5人を訪ね歩き

↓↓↓

IMG_0645.jpeg

自ら真偽を問いただしていく

↓↓↓

IMG_0644.jpeg

過激な言動で知られたアナーキスト

奥崎謙三を追った

驚愕のドキュメンタリーです

突如

映し出される映像が

スローモーションに変わり

奥崎の口から発せられる怒号と共に

対象者に掴みかかり

もみくちゃになり

馬乗りになって

殴りつける

う〜ん

初めて観たときは

ぶっ飛びましたね

そのリアルで生々しいやりとりに

観る者も

自ずと不安と緊張を強いられ

先の読めない展開を

固唾を飲んで見守りほかありませんでしたね

↓↓↓

IMG_0564.jpeg

だが

よくよく

奥崎は

カメラを前にして

少なからず発奮しています

カメラが回っているという

ただそれだけで

本来の自分以上の

自分を見せる

つまりは

往々にして

過剰なパフォーマンスを発揮する

というニュアンスが生じる

それを映像の端々に見てとれます

↓↓↓

IMG_0558.jpeg

う〜ん

つくづく

これを演技と呼ばずして

なんと呼びましょうか

つまりは

これが

よくいえば演出

悪くいえばやらせ

というものじゃないのでしょうか

そうなると

一体

どこまでが演技で

どこまでが素なのか

一概にはわからない

もしかしたら

本人もわかっていないのかもしれない

つくづく

演技とは一体何でしょうか

演出とは一体何でしょうか

そして

あらためて

ドキュメンタリーとドラマの違いって

一体何でしょうか

本作は

奥崎のエキセントリックな姿を通して

この命題を

観る者に突きつけます

↓↓↓

IMG_0560.jpeg

そして

あらためて

カメラと被写体は

共犯の関係にある

奥崎も奥崎なら

撮る方も撮る方です

どんどん突っ走っていく奥崎を

まるで助長するかのような

カメラの姿勢

対象に熱中し肉薄するあまり

画面の端っこに

チラリと映り込んでしまう

録音の棒

しかし

そんなことは

この際どうだっていい

まさに原監督をはじめとする撮影班の

前のめりな姿勢の反映で

そうしたカメラと被写体のある種の共鳴が

凄まじい緊張感を画面にもたらす

ここに映し出されているのは

その熱量のまぎれもない産物ですね

というわけで

『ゆきゆきて、神軍』

う〜ん

すごい映画

まこと目を見開かされる

衝撃のドキュメンタリーです

↓↓↓

IMG_0648.jpeg

関連記事

  1. この記事へのコメントはありません。