映画『ビフォア・ザ・レイン』
昔、新宿の映画館で観て
感動した覚えがあるのに
いやはや
すっかり忘れていましたね
Amazonプライムで
久々に観る機会を得て
当時の記憶がにわかに蘇ってきました
1994年製作
マケドニア、フランス、イギリス合作の
『ビフォア・ザ・レイン』
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監督・脚本は
ミルチョ・マンチェフスキー(1959-)
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本作は
マケドニア→ロンドン→マケドニア
を舞台とした
3つのパートから成る寓話で
特筆すべきは
それぞれのエピソードが
複雑に絡み合い
メビウスの輪のように
ねじれた円環構造を有している点
これが面白い
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第1部「言葉」
第2部「顔」
第3部「写真」
ここで描かれるのは
旧ユーゴのひとつ
マケドニアにおける
民族紛争や宗教対立がもたらす悲劇の連鎖です
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…
沈黙の修行に励む
感受性豊かな修道僧キリルと
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彼の元に逃げ込み
つかの間の交流をはかるも
やがて銃弾に倒れる
アルバニア人の少女ザミラ
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ロンドンの雑誌社に勤めるアン
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彼女と深い関係にある
マケドニア出身の写真家アレキサンダー
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映画は
4人の登場人物を軸にして
マケドニア人とアルバニア人の
民族間の愛憎と
それによってもたらされる
不毛な暴力の連鎖を
時間軸を交差させながら
鮮烈に炙り出します
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って
以下、ネタバレ御免ですが
本作は
ラストシーンが
冒頭のシーンへとつながります
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えっ
観る者は
狐につままれたような
ある種の衝撃を受けます
ふと
よくよく
物語を時系列順に追っていくと
2部→3部→1部
そしてそこから
また2部へとつながって、と
あれれ
正直
どうにも辻褄が合わない
これじゃ無限ループだ…
観ていて
少なからず混乱を招きます
しかし
これこそが監督の狙い
マンチェフスキーは
本作を通して
殺戮と報復という
負の連鎖から
抜け出すことができない
マケドニアの出口のない現実を
象徴的に描いているのです
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いやあ
この緻密でダイナミックな構想力には
まこと目を見張るものがあります
と
本作において
醜い争いに明け暮れる人間界と
対比して描かれるのは
マケドニアの
起伏の激しい山間部の
その圧倒的に美しい自然です
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そして
映画の初めと終わりの繋ぎの部分で
癒しと浄化の雨が
あたり一帯に
おもむろに降り注ぎます…
う〜ん
観ていて自ずと
いつの時代においても
いま現在も
世界のあちこちで
絶え間なく繰り広げられている
人間の愚行を
つくづく
思わずにはいられません
そんな
延々続く時間のループに
戸惑いと絶望感を抱きつつ
どこか祈りにも似た切実な思いと
たしかな普遍性を
本作に見出した次第です
というわけで
『ビフォア・ザ・レイン』
マンチェフスキーの
類稀なスケールと
堂々たる演出が光る
隠れた傑作
いやあ
これはあらためて必見です
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