表現の程度
最近もっぱら
YouTubeなどの動画を
見ることが多い今日この頃
一見
いや
まじまじ
どう見ても
う〜ん
まさしく
くだらない
無意味
無駄
ああ
バカバカしい…
こんな映像
一体何の意味があるんだろうか⁈
って
ふと
でもよくよく
程度の差こそあれ
どんな表現も
実際はそう大差ないのかな…
例えば
今からおよそ100年前に
パリで勃興した
シュルレアリスムの運動なんて
まさにその最たる例で
“シュールでナンセンス”が
芸術における大きな潮流を生み
後々一ジャンルとして
市民権を獲得するなんて…
芸術とは一体なんぞや⁈
あらためて
思わざるを得ませんね
そして何より
どう考えても
不毛だとしか思えない行為が
しかし
社会性を獲得する
つまりは
経済的に成り立つ可能性を秘めている
という点では
単純に感心する面も否めず
YouTubeの意義って
良い悪いではなく
こういうところにあるのかな
と
感じる次第です
って
でもまあ経済優先で
安易なポピュリズムに走る傾向は
如何ともしがたいものがありましょうが
つくづく…
おまけ
シュルレアリスムの代表的なところで
ベルギーの画家
ルネ・マグリット(1898-1967)
の2作品をご紹介
《リスニング・ルーム》(1952)
↓↓↓
《人の子》(1964)
↓↓↓
う〜ん
この人は
青リンゴが好きだったんでしょうかね?
と
マグリットいわく
「絵の中のリンゴがいかにも本物らしくて
食べたくなるほどだったとしても
それは絵具に過ぎない。
そして“リンゴ”という言葉もまた
リンゴの絵と同様
誰かが好き勝手に決めた観念にすぎない。」
ハハハ
こんだけデカい青リンゴを描いておいて
何言っちゃってるの
というわけで
なんでもありですね
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