モノクロの魅力
つくづく
“便利”というベクトルだけでは
ダメな気がする今日この頃です
科学の発展と共に
世の中ますます便利になって
人々が生活しやすくなって
それはそれで素晴らしいことなのですが…
う~ん
しか~し
数千年来
人類が未開の地を開拓してきた過程において
世の中がどんどん発展し
便利になっていくと同時に
失われていったもの
それは
闇…
ではないでしょうか
まあ当たり前ですよね
人類は
闇の部分に
光を照らしていくことによって
文明開化を成し遂げていったわけですからね
つまり
論理で説明できない事柄
秘境と呼ばれる世界を
どんどん排除していき
そうした未知なるものを明らかにしていった
科学でもって証明してきたわけですね
さらにインターネットがその波を加速させ
今ではおおよそ
世の中で未知なるものはないくらい
秘密と言われるものがどんどん失われていき
すべてが白日の下にさらされてしまう…
これって便利ではあると思いますが
なんとも節操がないといいますか
まあ俗な例を挙げれば
今さらですが
今のテレビの鮮明な画像
粒子がどんどんきめ細かくなっていき
つまり情報量がどんどん多くなっていき
それによる解像度が増すにつれて
あげく
出ている女優さんの毛穴まで
容赦なく映し出してしまう
この情緒のなさ
色気もへったくれも
あったもんじゃないですよね…
これはひとえに情報量のなせるわざ
現代は情報が氾濫している時代
そうした便利である
イコール
情報量の多さが
その分だけ
想像力や情緒
ひいては
心の豊かさを失うことにつながってしまい…
それによる損失は
計り知れないものがあるように思います
世の中
科学がどんどん発展し
人類が叡智を養っていけばいくほど
それと同等か
もしくはそれ以上に
大切なものが失われていくという
パラドックスに陥ってしまう
やはり
ベクトルは一つだけではダメなんですね
一見相反する二つのベクトルを
両方追求していく
矛盾しているかもしれない二極を
同時に持つということが
大切なのかなと思いますね
例えば
便利さと手間暇
とか
光と闇
あるいは
論理と感性
などなど…
おっと
話がすっかり秘境に入り込んでしまいましたね
というわけで
年末年始は
ただ漫然とテレビを観るなかれ
たまには魂をゆさぶるような
古いモノクロの映画でもじっくり観て
心の毛穴をすっかり開いて
感性を養い
新年の決意をいっそうあらたにすることを
おススメします
ということで
さっそくですが
ざっとモノクロの映画を
3本挙げてみました
まずはこちら
こういう映画を傑作と呼びたいですね
ルイ・マルの鮮烈なデビュー作
『死刑台のエレベーター』(1958)
↓↓↓
お次は
決して色褪せることのない斬新さ
人生の深い光と闇
早熟の天才
オーソン・ウェルズの野心作
『市民ケーン』(1941)
↓↓↓
そして
たま〜に
無性に観たくなります
↓↓↓
思い出すだけで
涙がこぼれます
心が浄化されること請け合いですね
フェデリコ・フェリー二の
『カビリアの夜』(1957)
↓↓↓
まあベタな選定ですね
でも観終わった後は
しばらく余韻が残りますよ
是非とも必見です
この記事へのコメントはありません。