芸術の醍醐味

芸術の醍醐味

面白さって一体何でしょうか?

本ブログでも度々書いていますが

それは

一般的に認識されている

常識や社会の枠組み

あるいは一人一人が

今まで生きてきた中で

自然と形成されてきたフレーム

つまり価値観をぶち破る

自由な表現にあるのかなと思います

そして

自由な表現を追求する上で

いつもモラルや道徳というものが

目の前に立ちはだかってくるわけですが

芸術の歴史は

その時代時代における

モラルや道徳、常識との

戦いの歴史

でもあったと言えます

もちろん

モラルや常識をはみ出ること

そのものが目的化してしまっては

これは本末転倒となりますが

要は純粋に表現を追求する上で

制約となるものは

道徳であろうがモラルであろうが

良し悪しでなく

取り除いてしかるべきということ

とはいえ

そうは言いましても

まあどんな芸術表現も

結局のところ

世に出してなんぼ

ということは

より多くの人々に認知されるわけでして

当然のことながら

人々の耳目にさらされる分だけ

批評があるわけでして

つまりは

自由かつ無垢であろうとする

己の表現の産物を

市場という大海原に

おっぽり出すようなもの

市場とはどこまでも

無情でシビアな世界

受け入れられなければ

容赦ない批判の雨が降ってきます

となりますと

卵が先か

ニワトリが先か

ではありませんが

世の芸術家の中には

己の表現にただ忠実に

インスピレーションの泉に付き従うままに

創作している人も

もちろん中にはいるかもしれませんが

一方で

頭の片隅のどこかで

これは売れるとか

これは人々に受けるであろうという

いわば市場ありきの発想

大衆迎合的な見地に立って

創作している人も

やはり

多々見受けられるわけでして

これは

芸術家の価値が

多くの場合

市場によって決定されてしまう

という現実があるゆえ

仕方ないといえばそれまでですが

う~ん

なんだか矛盾した話ですよね

まあ一般的には

両方をバランスよく兼ね備えた人がいいのでしょうが

いやいや

それも

まんま理想と現実って感じで

小さくまとまってしまって

なんかつまらないな~

やはり

僕はあえて

創作者は

市場を視野に入れず

どこまでも

己に忠実に妥協なく

私的パワーを出し切ってほしいと

切に願っている次第です

ふと

例えば

フランスの税関職員にして

独学で絵を描き続けた

素朴派の代表的な画家

アンリ・ルソー(1844-1910)のように

《子供のお祝い》(1903)

↓↓↓

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とまあ

これを

ちょっと乱暴ですが

例えば

ホール営業に置き換えてみますと

おっと

やはり芸術とは

そのニュアンスが真逆ですかね

僕らは

何より

健全化という名の下での

遵法営業という見地から

絶対にはみ出てはならず

その中で

いかに市場のニーズにマッチした

魅力的な提案をホールでできるか

さらには

いかに

自由な表現を追求できるか

小さくまとまらずに

新しいチャレンジをし続けていけるか

となるわけですが

う~ん

そう考えると

諸条件はあるにしても

つまるところ

そんなに大差ないかも(!)

果たして

どんなもんでしょうか

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