『ゴッホとゴーギャン展』
もう一ヶ月以上前に終わってしまいましたが
遅ればせながらアップ
上野の東京都美術館で開催されていた
『ゴッホとゴーギャン展』です
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ご存じ
セザンヌを含めた
ポスト印象派の三大巨匠のうちの二人
フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)と
◎《自画像》(1887)
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ポール・ゴーギャン(1848-1903)
◎《自画像》(1885)
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この二人は1888年に
南フランスのアルルで共同生活を送り
そこで互いに刺激を受けながら
共に絵画の制作に励んだことで知られています
しかし二人の芸術に対する価値観や
画風の違いが
度々激しい衝突を招き
結局
共同生活は約2ヶ月で終わりを迎えます
しかしその後も
お互いが受けた影響を自作に反映させたり
書簡を交わしたりして
二人の交流は1890年に
ゴッホが亡くなるまで続きました
本展は
そんな二人の濃密な関係を通して
つかの間の接点や共通テーマを見出しつつ
それぞれ独自の道を経て
やがて到達した
その類稀なる画業を
二人の初期から晩年にわたる
約60点もの作品を通してご紹介
いやあ
僕はゴッホもそうですが
実はゴーギャンが大好きでして
感激でしたね
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と
本展のユニークな試みとして
いくつか示された
二人の共通テーマが興味深かったですね
それぞれの「収穫」と題した
お互いにとっての最高傑作と評される
対照的な作品
◎ゴッホ《収穫》(1888)
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小麦の収穫の風景を
奥行きのある広大な画面構成と
丁寧かつ大胆な筆致
黄金色の豊かな色彩で表現
◎ゴーギャン《ブドウの収穫、人間の悲惨》(1888)
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平面的な空間に
収穫されたブドウの色のコントラスト
そこにブルターニュの
陰鬱な表情の女性を配することで際立つ
対比の構造
現実と想像が入り混じり
象徴主義的な要素が散りばめられた
ユニークな一枚
◎ゴッホ《ゴーギャンの椅子》(1888)
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ゴッホによる
ゴーギャンの象徴的肖像画と言われています
◎ゴーギャン《肘掛け椅子のひまわり》(1901)
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晩年のゴーギャンが
ゴッホに文字通りオマージュを捧げた一枚
ということで
巨匠二人の他の作品をザザッとご紹介
◎ゴッホ《古い教会の塔、ニューネン(農民の墓地)》(1885)
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写実をとことん追求していた頃の一枚
素朴な農民の生活環境を反映
◎ゴーギャン《夢見る子供(習作)》(1881)
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寝ている子供の横にある道化師の人形が
どこか空想的なイメージをかきたてます
◎ゴッホ《タマネギの皿のある静物》(1889)
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精神障害から
自身の左耳の一部を切り取る
という事件を起こしたゴッホが
退院後、初めて描いた一枚
慣れ親しんだアイテムたち
◎ゴーギャン《アルルの洗濯女》(1888)
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日常的な光景にもかかわらず
抽象的で
まるで生活感が感じられない
遠近感を排したフラットな画面構成
独特の色味による
流れるような線が
不思議な味わいをもたらします
◎ゴッホ《刈り入れをする人のいる麦畑》(1889)
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力強く荒々しいタッチ
間近で見るとすごい迫力です
以下、ゴッホのコメントです
「真黄色、恐ろしく厚塗りをしているが、モティーフは美しく単純だ。
つまり僕はこの刈る人の中に、炎天下のもと仕事をやり遂げようと悪魔のように闘っている朦朧とした人物の中に、人間は彼が刈る麦みたいなものだという意味で、死のイメージを見たのだ。
(中略)
しかしこの死の中には何ら陰鬱なものはなく、純金の光にあふれた太陽とともに明るい光の中でことが行われるのだ。」
◎ゴーギャン《タヒチの3人》(1899)
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ポリネシアの男性と女性
りんごや花などに
象徴的な意味合いを込めています
安定感のある構図
背景の独特な色味
装飾性…
つくづく
この人の絵からは
ほのかに匂いが伝わってきますね
◎ゴーギャン《タヒチの牧歌》(1901)
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大きく描かれたうねるような太い木の幹
牧歌的な風情でありながら
どこか神秘的な雰囲気が漂ってきます
1891年
文明の及ばない原初の風景を求めて
南太平洋のタヒチへやってきたゴーギャンは
そこに理想の姿を見ます
しかしやがて病に侵され
晩年はタヒチから遠く離れた
ヒバ・オア島に移り住み
1903年
この地で永眠しました
いやあ
すっかり趣味全開です
というわけで
二人の巨匠のすごさを知る
またとない機会
充実した内容の素晴らしい本展でした
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