映画『ストーカー』
映画評
前回の『ノスタルジア』に引き続き
またまたロシアの映像詩人
アンドレイ・タルコフスキー監督作品をご紹介
1979年製作
ストルガツキー兄弟のSF小説を映画化した
『ストーカー』
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冒頭に流れるテロップ
「何だったのか?
隕石の落下か?
宇宙からの生命体か?
ある地域に奇妙なことが起きた
それが「ゾーン」だ
軍を送ったが戻ってこない
そこで非常線を張り立ち入り禁止区域とした
充分な対応ではないにせよだ
分からないのだ…」
意味深な言葉で始まるこの映画は
謎のエリア“ゾーン”の水先案内人である
“ストーカー”と呼ばれる男が
ゾーンの奥にある部屋に行けば
どんな願いも叶えられる
という噂を聞きつけた作家と物理学者の2人を連れて
この禁断の領域に足を踏み入れる様子を
淡々と描いています
(以下、ネタバレ御免)
軍による厳重な警備をかいくぐり
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小さな軌道車に乗って廃墟の中の鉄路を走る3人
男たちを一人一人クローズアップで捉えた
そのわずかの間
規則正しく鳴り響く車輪の軋む音を遮るかのように
突如、電子ノイズが混じり始め…
と、にわかによぎる時空を超えた感覚
そうして3人の男たちは
ゾーンのある区域へとたどり着く
ここに至ると
いつのまにか世界は
モノクロから鮮明なカラーに変わっている
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ストーカーは2人に語り続ける
「ゾーンに行けば願い事が叶う」
「ゾーンは神聖な場所」
「ゾーンは罠のシステム」
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さらに続く
「はまれば死にます
無人のときはともあれ、人が入ってくると活動を始めます
古い罠が消えて、新しい罠が生まれ、安全だったところも危険に…
単純に見えた道筋も、ときに混乱に転じてゆく
それがゾーンです
気まぐれに見えるかもしれませんが
実は私たちの精神状態の反映です
道半ばで引き返すしかなかった人もいます
“部屋”を目前に亡くなった人も…
すべては自分次第です…」
連れられる2人に
かすかに芽生える疑念、募る不安感
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「よくわかりませんが
ゾーンは絶望した人間を通すように思えます
善悪に関係なく不幸な者を…
しかし不幸な者でも己を失うと破滅します」
未知なる世界のその果てには
一体何が?
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たゆたうように流れる時の移ろい
刻々と変容する空間
形而上的な領域へと埋没する記憶
淀みなく溢れ出るイマジネーション
深い精神性をもって突きつけられる宗教的命題
絶えず繰り返される哲学的問答
そんな果てしのない思索がもたらす
ある種の愉悦
催眠的なまでの陶酔感
あらためてゾーンとは一体何なのか?
神聖にして侵すべからざる絶対的な領域
つまりは神の世界
でもそもそも
それも人間が
観る者が
頭の中で勝手に想像した産物に過ぎないのかもしれません…
ふと
にわかに浮かび上がる
人間の本質や欺瞞、欲望
ゾーンは無意識下における
自分の潜在的な願望が叶う場所
ゆえにはからずも
自分の心を容赦なく映し出す鏡であり
虚飾を剥ぎ取った己の本性
ありのままの姿が晒される場所でもある
そうなるとやはり人は
そこに自らすすんで身を置くことをためらうのでしょうか
う~む
3人の目の前に次々と現出する異空間
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全編を覆う深遠な空気感
随所に宗教的なイマジネーションが散りばめられます
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と
苦難の末にようやく願いが叶う部屋の前にたどり着くも
作家と物理学者の2人は
己の本心があからさまになることを恐れるあまり
ついぞ願いを口にしようとせず
結局3人は数々の問答と諍いの末
誰も部屋に入ることなく帰路に着きます
滴り落ちる水の中
部屋の前で呆然と座り込む3人
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しかしそのとき案内人のストーカーは
無意識に
絶望の淵の只中で
家族の幸せを渇望していることを口にします
彼には“案内人”という特殊な仕事ゆえに
多くの犠牲を強いている妻と
足の不自由な娘がいました
そうして帰宅後
娘にふいに訪れる
ある変化…
驚愕のラスト
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問われる信仰心と
そして魂の救済
いやあ
夥しい水や霧、廃墟など
独自の映画言語を駆使して創造されたこの無二の世界観
『ストーカー』は
タルコフスキーの映像詩人としての本領が
遺憾なく発揮された野心作です
長回しによって映し出される
その稀有な抒情詩に
時を忘れじっくりと身を委ねて観てほしいですね
ちなみに後年
本作のゾーンの描写が
1986年に起きたチェルノブイリ原発事故跡地に類似しているとの指摘が多くなされ
そうした点からも
あらためて本作が
様々な解釈やメタファーに彩られた傑作とうたわれる所以です
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