映画を大別
前回のメカス評に引き続いての話
ふと
映画と一口に言っても
実際
いろんなタイプの映画がありまして
その位置づけが
明確に分かれるところですが
突き詰めると
要は
映画は
商品か
芸術か
とまあ
この2点に大別されるのかなと思います
商品という位置づけの場合
まずはマーケットありき
つまりは観る側が
何を求めているのか?
が大事
それに対して
芸術という位置づけの場合
まずは創作ありき
つまりは創る側が
何を表現したいのか?
が大事
それだけ後者は
独りよがりで
パーソナルな領域で映画を捉えている
もちろん
100%どっちかに偏っているわけではなく
割合的にそうした傾向があるということで
まあどっちが良いとか悪いとかの話ではありませんが
ともかく現在は
ハリウッドの大手スタジオによる大作映画
いわば
ディズニーランドのアトラクション的な感覚で
映画を観るという風潮が強いでしょうかね
個人的にはちょっと憂慮してます、ハイ…
と
そうした映画においては
面白さのポイントは
ストーリーの妙か
スター俳優の出演か
派手なアクションか
CGなどを駆使したスペクタクルな映像か
などという傾向に
自ずとなってきます
が
一方で
前回ご紹介の
ジョナス・メカスなどの尽力によって
非商業映画の門戸が開かれ
必ずしもストーリーに依拠しない
実験映画、前衛映画、プライベートフィルムが
商業映画と対峙する形で
存在しているのも事実です
ふと
その極北とも言える映画が
ポップアートの巨匠
アンディ・ウォーホルが
エンパイア・ステートビルを
8時間にわたって延々映し出した
伝説のアートフィルム
『エンパイア』(1964)でしょうか
↓↓↓
う〜ん
果たして
これが映画なのか?
数々の物議を醸しましたね
ところで
メカスはこの『エンパイア』に
撮影スタッフの一人として
参加したことで知られています
1960年代ニューヨークのアートシーンを彩った
中心人物の二人
メカスとウォーホル
↓↓↓
というわけで
いやあ
いずれにしても
自由で多岐にわたった表現をこそ
僕は守り
追求していくべきだと
強く思う今日この頃ですね
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