映画『気狂いピエロ』

1965年製作のフランス映画

『気狂いピエロ』

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実に55年も前の映画なのに

全く色あせませんね

なんと瑞々しく

そして鮮烈な映像表現でしょうか

あらためて監督は

映画史にその名を刻むフランスの鬼才

ジャン=リュック・ゴダール(1930-)

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半世紀以上にわたる長いキャリアを通して

いまだ現役として映画表現の革新に挑み続ける

言わずと知れたレジェンドです

いやはや

もはやゴダールそのものが一つのジャンルになっている感がありますね

中でも本作『気狂いピエロ』は最高傑作と謳われていて

後世に多大なる影響を及ぼしました

本作のストーリーはあってないようなものでして

ピエロと呼ばれる男フェルディナンと恋人マリアンヌによる

いわば刹那的な逃避行を描いています

が、悲壮感は皆無

映画はおよそリアルでない、小芝居のような奇妙なトーンを終始宿しながら

ある種、B級ギャングのような風情をたたえた二人が辿る

破滅への道のりを淡々と映し出していきます

原色で彩られた鮮やかな配色による画面構成

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主人公が度々発する詩や小説の引用

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唐突に挿入される絵画など

画面を横溢する洪水のような情報の氾濫

ふと

映画のワンショット、ワンショットは

まるで一枚の絵画のように独立し際立っています

ストーリーはこうしたショットを積み重ねるための

あくまでつなぎの意味でしかありません

何より本作の特徴として

彼の他の多くの作品と同様、脚本と呼べるものはなく

ほとんどのシーンが即興撮影&同時録音で

それも自然光を生かしたロケーション中心の撮影で

またジャンプカットと呼ばれる大胆な省略による編集技法を駆使するなど

そうした数々の要素が合わさることによって生まれる

この自由でアナーキーな息吹

いやあ

これぞヌーヴェルヴァーグの真骨頂ですね

そんな豊穣な世界観を主人公二人が抜群の相性で体現

とぼけた味わい、軽い身のこなしのベルモンドと

アンニュイで包み込んだ当時のゴダール夫人のカリーナ

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どこまでも政治を

B級ギャングを

気分としてまとう感覚

この嘘臭さ

果たして映画は何をなしうるのか?

所詮、映画は映画でしかない

たかが映画

されど映画

ゴダールは

反体制の機運が高まりつつあった1960年代当時において

社会変革に結びつかない映画の無力さを

なかばシニカルな眼で見つめながら

しかしこの時代の空気を鋭敏に察知し

彼なりのやり方で己の持てる知を総動員して

それをフィルムに刻み込んでいきます

当時、ベトナム戦争への反戦ムードが世界中で高まりつつある中

反体制の機運は

1968年にフランスで起こった学生や労働者たちの蜂起である

パリ5月革命で頂点を迎えるのですが

実はここに参加した学生の多くが

1967年に製作されたゴダールの『中国女』の影響を受けていたと言われています

興味深い話ですね

そしてこの1968年を契機にして

ゴダールは商業主義と決別し

ラディカルな政治的映画を志向する

匿名による映画製作集団「ジガ・ヴェルトフ」を結成

自身のキャリアの中で最も先鋭的な政治の時代へと突入します

おっと

ちょっと話が逸れましたね

そんなわけでして

本作『気狂いピエロ』はそうした激動の時代の転換点における

ヌーヴェルヴァーグ最後の輝きにして

金字塔と謳われた傑作です

本作の唐突で鮮烈なラスト

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果てしなく広がる地中海

ランボーの詩

どうでもいい話ですが

僕はその昔

個人的にゴダールが好きとは小っ恥ずかしくてよう言えず

それは例えば

ピカソが好きとかサルトルが好きに近く

ちょっと意味もわからないくせに気取っている感があって

ゴダールが好きとは

あえて言いたくない時期がありましたね

もちろんゴダールは難解な作品も含めて

20代の頃に貪るように観ましたが

僕は同じヌーヴェルヴァーグの中では

リヴェットが好きでして

もとよりフランスよりイタリアが好きで

何よりフェリーニで

さらにはパゾリーニでしたね

つくづく

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