映画『真夜中の虹』
1988年フィンランド製作の
『真夜中の虹』
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監督・脚本・製作は
フィンランドの鬼才
アキ・カウリスマキ(1957-)
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いやあ
カウリスマキは
僕が大学生くらいだった
90年代のはじめ頃に
地味〜に日本で公開され始め
当時ほぼ未知の国だったフィンランドを舞台にした
奇妙な世界観を宿した作品群で
ジワジワと人気を博していったのを覚えています
僕もずっと大好きでしたね
…
フィンランド北部の極寒の地にて
炭鉱の閉山によって失業を余儀なくされたカスリネン父子
程なくして父は息子にキャデラックを遺して自殺する
カスリネンはこの幌の閉まらないオープンカーに乗って
暖かい地を目指すべく南へと向かう
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…が途中
強盗に全財産を奪われ
日雇い仕事で食いつなぐ中で
イルメリという女性と知り合う
そんなある日
金を奪った強盗に遭遇し捕まえようとするが
逆に警察に連行されそのまま投獄
イルメリの助けを借り
刑務所仲間のミッコネンと共に脱獄を図り
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そうして
メキシコを目指して密出国する
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…
と
カウリスマキの映画は
いろんな特徴がありますが
何よりもまず
どれも尺が短い
上記のような
波瀾万丈なストーリー展開(⁈)
にもかかわらず
本作もたったの73分で
潔いくらいの早いカット割
余計なセリフや動きを廃して
あくまで心情より
行動にフォーカスを当てた
即物的な視点で
淡々と進んでいきます
そして
寒々しい空
にじむ生活感
社会の底辺をあえぐ人たちの
多分にシリアスになり得る話
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にもかかわらず
映画は
唐突で無表情な人物たちによる
独特の間
オフビートなテンポを有し
それが
フィンランドの無骨な風景と相まって
終始
不思議なユーモアに包まれます
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己に降りかかる度重なる不運に対して
どこか突き放した目で
なかばシニカルに捉える
決して
人生に悲観するわけでもなし
向上しようという
意欲に溢れているわけでもなし
文字通り
風の吹くまま
気の向くまま
今を生きていく
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登場人物たちは
なんとも
ハードボイルドで
アウトローな性分で
映画のトーンも
ノワールなタッチながら
それでいて
どこかユルさがある
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一瞬
これ笑うとこ⁈
って
スレスレな感があって
そこらへんの
悲喜劇のバランス感が
もう絶妙なんですよね
まさにカウリスマキ節
おっと
名優マッティ・ペロンパーが最高です
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さらに
終盤はもう
畳み掛けるようなテンポで
文字通り
手に汗握る展開
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決死の逃避行ながら
どこか健気で
悲哀に満ちていて
独特の味わいに満ちています
まあ
底辺を生きる人に対する目が
温かいんですよね
ちなみに
カウリスマキの
この特異なスタイルに
多大な影響を及ぼしているのは
彼がリスペクトを表明してやまない
日本の小津安二郎で
なるほどカット割の早さや
淡白な人物造形など
小津の映画を想起させる部分が
多々見受けられて
面白いですね
またカウリスマキの盟友の一人が
アメリカのジム・ジャームッシュ(1953-)で
こちらもたしかに
ジャームッシュの映画に見られる
オフビートなユーモアと共通するところがありますね
ふと
ジャームッシュといえば
カウリスマキの『レニングラードカウボーイズ・ゴー・アメリカ』(1989)に
出演もしていましたね
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そんなこんな
少し話が逸れましたが
本作『真夜中の虹』(1988)と
その前後に撮られた
『パラダイスの夕暮れ』(1986)
『マッチ工場の少女』(1990)
は「労働者3部作」と呼ばれ
初期の傑作に数えられています
いやあ
最高ですね
というわけで
あらためて
フィンランドが世界に誇る鬼才
アキ・カウリスマキの映画は
どれも必見揃いです
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