映画『パリ、テキサス』
1984年製作
西ドイツ・フランス合作の
『パリ、テキサス』
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監督はドイツが誇る巨匠
ヴィム・ヴェンダース(1945-)
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サム・シェパードの原作をベースに
謎の失踪を遂げた男の
妻子との再会と別れを描き
ヴェンダースの名を一躍世界に轟かせた
記念碑的な一作です
…
テキサスの荒野をひとりさまよっていた男が
とあるガソリンスタンドで倒れて発見される
記憶を失っているその男の持ち物を手がかりに
連絡を受けたウォルトは
男が4年前に失踪した兄トラヴィスだと確認する…
ロサンゼルス郊外の弟の自宅
少しずつ以前の記憶を取り戻しつつあるトラヴィスは
かつて置き去りにした7歳になる息子ハンターと再会する
最初はぎこちなかったが
次第に蘇る親子の感情
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やがてトラヴィスは
行方不明の妻ジェーンを探すため
ハンターを連れて旅に出る…
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ライ・クーダーが奏でる哀愁漂うギターの音色
茫漠たるテキサスの大地を
ひとり
あてどなくさまよう男
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持っていたボトルが底をつき
身も心も枯渇する…
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放浪癖
如何ともしがたい衝動
ジッとしていられず
荒野へと足を向かわせる潜在的な逃避への願望
誘われるかのような自由への希求
荒涼たる大地
果てしなく拡がる空
そして
主人公のトラヴィスが抱える闇…
一途で思い詰めた
しかし
諦念とも
達観とも
どこか違う
ただ存在している
たださすらっている
だけのような
意味付けそのものを無に帰する
実存的なまでの佇まい…
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しかし
物語の進行とともに
時間の経過とともに
トラヴィスが抱いていた
漠然とした
でも
たしかな空虚感が
観る者にゆっくりと伝わってきます
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と
記憶喪失だったトラヴィスは
両親が出会った故郷である
テキサス州の“パリ”
という場所を求めて放浪していた
ふと垣間見える
家族に対する
深い喪失感
絶望…
8ミリフィルムのホームムービーから伝わる
今では失われてしまった
家族の温もり
粗い映像から
溢れ出る情感
観てみて切ないですね
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かつてトラヴィスは
妻ジェーンを愛するあまり
嫉妬心に駆られ
彼女に執着し束縛した結果
二人の関係は修復不能になり
自暴自棄に陥ってしまったのだ
そうして
家族を背負う責任から逃れ
やがて
記憶もなくし
社会生活と断絶するに至る…
そんなトラヴィスは
息子ハンターのために
もう一度
家族を取り戻そうと決心する
と
妻ジェーンは
ヒューストンの風俗店にいた…
店内のミラーを介し
思わぬ形で
トラヴィスは
ジェーンと対面する
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マジックミラーなので
向こうからは見えないのに
つい顔を伏せてしまう
やるせない気持ち
いたたまれない気持ちに
否応なくさいなまれる…
そして後日
トラヴィスは再び相見え
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ミラー越しのジェーンに後ろを向いて話しかけ
想いを吐露する
自ずとミラーの向こうの相手が
トラヴィスだと気づくジェーン
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話し終えた後
息子ハンターの待つホテルの番号を告げ
トラヴィスはそっと受話器を置き
部屋を出ていく
やがて
待っていたホテルの一室で
再会を果たす母と子
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その光景を遠目で見て
車を走らせるトラヴィス
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男はなぜ
妻子を置いて
行かなくてはならないのか
ここは物語を成立させる
とても大切なポイントですね
つくづく
根源的なところで
出ていかずにはいられない
つまりは
荒野へと向かわせる
男の
哀しいまでの心情
切実なまでの孤独感
う〜ん
本作はそうした風情を
家族の再生と
まさに表裏一体で
鮮やかに描出しているのです
いやあ
あらためて
トラヴィスを演じた
ハリー・ディーン・スタントンが
名バイプレイヤーのキャリアを翻し
男の哀感を滲ませる
一世一代の名演を披露
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対する妻ジェーンを演じた
ナスターシャ・キンスキーが
これがもう
目を見張る美しさ
思わず釘付けになります
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ふぅ
何度観ても
切なくて
胸締めつけられて
正直、涙なしで観れませんね
よくよく本作は
ヴェンダースが敬愛する小津安二郎に対するオマージュであり
と同時に
彼の中に内在する
まさに心象風景の発露と言えましょうか
というわけで
『パリ、テキサス』
いつまでも余韻に浸っていたい
ロードムービーの傑作
今更ながら必見です
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