映画『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』
1984年製作
アメリカ・イタリア合作の
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」 』
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監督・脚本はマカロニ・ウエスタンの巨匠
セルジオ・レオーネ(1929-1989)
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禁酒法下のニューヨークで
ユダヤ系移民の少年たちが
貧しさから這い上がるために
悪事に手を染め
ギャングとなっていく…
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映画は
少年期、青年期、壮年期と
年代を行き来させた構成で
ロバート・デ・ニーロ演じるヌードルスと
ジェームズ・ウッズ演じるマックスの
二人の友情と対立を軸に
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かつて栄華を誇るも
やがて破滅していくギャングの
刹那的な生き様を重厚に描いた
デ・ニーロ主演による
3時間49分(=完全版)に及ぶ一大叙事詩
言わずと知れた
レオーネの遺作にして代表作です
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…
1920年代
セピア調のニューヨーク
ユダヤ人ゲットーの貧困街の猥雑な風情
ゴツゴツした石畳
煙る雑踏
熱いひといきれ
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そこに生きる
貧しくも大らかで
無軌道な悪童たち
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ここで出会い友情を育んでいく
マックスとヌードルス
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それにしても
「アマポーラ」の優美な旋律に乗って
バレエを踊る
デボラ(=ジェニファー・コネリー)が可愛い
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少年たちは禁酒法を利用して荒稼ぎするが
ワシントンブリッジを遠く見渡す
ダンボの路頭で
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仲間のひとりが銃弾に倒れ
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ヌードルスは夢中で相手を刺し殺し
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そうして刑務所へと入所する…
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数年後
禁酒法末期の1931年に
出所したヌードルスは
ナイトクラブの喧騒の中で
マックスら仲間たちと再会し
裏社会に舞い戻る
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しかし時代は大きく変動
まもなく禁酒法が廃止され
たちまち彼らは資金源を失い
次第に友情にも亀裂が生じ始める
マックスによる無謀な銀行襲撃計画の
失敗を案じたヌードルスが密告をしたことで
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仲間たちは警察に殺され
ヌードルスは裏切り者として
組織から狙われる身となり
逃亡を余儀なくされる
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それから30数年の時を経て
差出人不明の一通の手紙をきっかけに
年老いたヌードルスは
再びニューヨークに帰ってきて
そこで思いもよらない
事の真相を知ることになる…
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あらためて本作は
アメリカ現代史
とりわけユダヤ移民から見た
民衆史の系譜ですね
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渦巻く暴力とセックスとドラッグ
男たちの友情や信頼、裏切り
幼なじみとの淡い恋と残酷な幕切れ…
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立ち上がる物語の持つ強度
つくづく本作は
時代設定もあるのでしょうが
イタリアの監督だけあって
紡がれたエピソードが
普遍的な象徴性
官能的なロマンティシズム
オペラのような情感をたたえていて
う〜ん
モリコーネの哀切な音色と相まって
自ずと甘美な心地を覚えます
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全編にわたって
そこはかとなく漂うノスタルジー
神話的世界観
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と同時に
少年から大人へと成長する過程で
誰もが抱き経験する
挫折、諦念、悪意、そして悔恨…
映し出される残酷で無情な出来事の数々に
観ていて
なぜか自分事のように身につまされ
複雑な思いに駆られたりします
なんというか
そんな時もあったなぁと
にわかに脳裏をかすめる
どこか当事者的な感覚
まあ
はじめて本作を観たのが
僕が中学3年という多感な頃でしたので
なおさらですかね
当時の僕には
ちょっと強烈な大人の映画
でも苦虫を噛み潰したような
渋いムードを体現するデ・ニーロが最高で
いやあ
なんとも懐かしい限りですね
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マックスを演じたウッズも
年代ごとに
たしかな存在感を示していましたね
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そしてラストシーン
中国人街の
アヘン中毒の廃人たちが過ごす館
その異様な空気に覆われた部屋で
過去にとらわれ
思い出に浸り
悔恨をまぎらわすヌードルス
アヘンを吸い
弛緩した表情を映し出して
映画は幕を閉じます…
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ふぅ
なんという力作
思わずため息がもれますね
監督のレオーネの言葉です
「私が作ったのは
時間についての
記憶についての
そしてまた映画についての映画なのだ」
というわけで
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」 』
まさに圧巻の映画
濃密な作品世界に浸って
ひとりじっくりと鑑賞したい巨編
いやあ
今更ながら必見です
おまけ
本作の名シーンの一つ
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…と
同じ構図で
今から8年前に
ニューヨークのダンボに行った際に
撮った一枚
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