映画『断絶』
今年
実に21年ぶりとなる新作『果てなき路』が公開され
再び表舞台に躍り出た
伝説の映画監督
モンテ・ヘルマン
なぜ
伝説なのか?
答えは
彼の代表作
『断絶』にあります
↓↓↓
当時の誰かの言葉
“『イージー・ライダー』で勝ち得た自由は
『断絶』によって失われた。
『断絶』は70年代の始まりであり
終わりでもある。”
…
60年代後半のアメリカにおいて
時の反体制運動に呼応した形で
にわかに噴出した
既成概念にとらわれない
自由なスタイルの映画群
ご存知
“アメリカン・ニューシネマ”
このニューシネマの一本として
1971年に製作された本作は
しかし
当時華々しい成功を収めていた
『イージー・ライダー』とは対照的に
興行的に惨憺たる結果に終わります
そして
ヘルマンはこの映画の興行的失敗によって
監督として失墜の憂き目に遭い
以後
映画製作において
絶えず困難を余儀なくされ
そうして
『断絶』は
久しく
“呪われた映画”の
烙印を押されてしまうのです
しかし
人の評価というのは
つくづく移ろいやすいもの
長年の歳月の経過と共に
じわじわと再評価の声が高まっていき
近年に至って
カルト的な人気を博すようになるのです
そうして現在
『断絶』は
ニューシネマの最高傑作とまで
言われるようになっています
う~ん
不思議なものですね…
かくしてヘルマンは
上述のように
“伝説の映画監督”として
多くの映画人やファンから
リスペクトを受ける存在となった次第です
ということで
問題の映画
『断絶』です
賭けのストリートレースをしながら
車の旅を続けるヒッピーの2人の若者と
転がり込んできたヒッチハイクの少女
道中
ふと知り合った一人の中年の男と
互いの車を賭けた
大陸横断レースをすることになり…
本作は
ニックネームでしか呼ばれない
4人の登場人物たちによる
あてどない旅を描いた
ロードムービーです
↓↓↓
この映画
とらえどころがないといいますか
正直
一言で
暗い
地味
特に何も起こらない…
車を賭けたレースも
いつのまにかうやむやに…
映画的な高揚
ドラマティックな見せ場
起承転結の
いわばクライマックスにあたる盛り上がりは
ほぼ見当たりません
ただ淡々と
車が走る
町から町へ移動する
あてどもなくさまようこと
そのものが目的であるかのようです
登場人物たちによる会話はいまいちかみ合わず
全編を通してけだるさが漂います
“やればできる”
“自分たちにできないことはない”
“思いは実現する”
若者の特権である
こうした
ある種の楽観性を
喪失して久しいよう…
“できないことを知る”
“己の限界を知る”
そういう者を
僕はすなわち
大人というのだと思います
…が
本作の主人公2人は
そういう意味では
若くしてすでに老人のようです
にわかに浮かび上がる
諦念
虚無感
喪失感
敗北感
心の断絶…
そう
これは70年代当時の世相
若者の心情を
反映しています
未来に夢や希望を見出せず
ただ
ストリートレースに明け暮れ
その日その日を無為に過ごすしかない
そんな刹那的な若者たちの姿を通して
当時のアメリカ社会が抱える
心の闇を
映し出しているのです
主人公の若者たちが
感情の抑揚がなく
どことなく空虚なのに対して
途中、賭けを通して知り合った中年の男は
ヒッチハイクする人を取っ替えひっかえ乗せては
自分の昔話や自慢話などを嘘八百並べたて…
う~ん
こっちは世代的に
キャリアからドロップアウトした
敗残者の風情を漂わせます
(名優ウォーレン・オーツが魅力的に演じてます)
2人のヒッピーの若者と
中年男
そしてもう一人
不思議な存在感を醸す少女をまじえて
この4人のあいだに
つかの間
奇妙な連帯感のようなものが生まれます
↓↓↓
…が
それも少女の別れと共に
唐突に終わりを告げます
う~ん
断絶…ですね
とにかく
ここには
当時のアメリカ社会を覆う気だるい空気感が
克明に焼き付けられています
ほとんどドキュメンタリーを観ているようです
旅の途中で垣間見える
どこまでも続く荒涼たる風景
そんな乾いた映像にかぶさるように
虚しく轟く爆音…
その後の
泥沼化するベトナム戦争や
ウォーターゲート事件などによる
政治的社会的失墜を暗示する
70年代
病める大国
アメリカの
リアル…
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