マイケル・チミノ追悼
アメリカの映画監督
マイケル・チミノが
今月7月2日に死去したという報を目にしました
享年77歳
若き頃の写真です
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ふと
今から思い起こすことおよそ30年前
僕が中学3年生の時
TVのゴールデン洋画劇場で
ある映画が放映されました
開局何十周年記念特別放映とかなんとかで
2ヶ月位前から繰り返し予告が流れていたので
ふ〜ん
これ相当面白いんだろうな
と
当時の僕は
戦争物だというくらいしか
知るよしもないその映画を
それこそ何の先入観もないまま
軽〜い気持ちで観たわけです
…が
中学3年生の僕にとって
3時間を超えるこの映画は
あまりに重たく切なくて…
正直、その夜はショックで
なかなか寝つけなかったのを覚えてますね
この映画を観て以後明らかに
少年だった僕の中の
何かが変わったように思います
その映画とは
1978年製作
マイケル・チミノ監督の
『ディア・ハンター』です
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主演はロバート・デ・ニーロ
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製鉄所で働くロシア系移民の若者たち3人が
ベトナム戦争の体験を通して辿る過酷な運命…
何よりも本作は
世界中で物議を醸した
ロシアン・ルーレットの衝撃にこれ尽きますね
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もうとにかくリアルで
鬼気迫る演技のクリストファー・ウォーケン
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前半の“長過ぎる”結婚式のシーンと
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そのあと唐突に始まる
ベトナム戦争の
とりわけ
ロシアン・ルーレットの凄惨なシーンの
このあまりの落差
衝撃の度合いが否が応にも増します
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う〜ん
ウォーケンの歪んだ表情や
ジョン・サヴェージの病んだ姿が
今でも脳裏をよぎります
つくづく
凄まじい映画でした…
この映画は
作品そのものに対する評価はさておき
僕にとって
最初の強烈な映画体験だったことは
間違いありませんね
と
この映画の成功で
一躍時の人になったチミノが
次に撮った作品が
1980年製作の
『天国の門』
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“アメリカの恥部”と言われた
ロシア・東欧系移民迫害の史実
ジョンソン郡戦争を題材にした
壮大なる西部叙事詩です
…が
この映画はチミノが
凝りに凝った映像を求めるあまり
撮影が長引き
予算、期間とも大幅に超過
そうしてようやく完成するも
そのデリケートな題材とあまりの長尺ゆえに
批評家から酷評され興行的にもふるわず
わずか1週間で打ち切られ
結果あろうことか
歴史と伝統を誇る製作会社ユナイテッド・アーティスツが
倒産へと追い込まれるという
大事態を招いてしまうのです
そんな
まさにいわくつきの映画ですが
しかし近年再評価の機運が高まり
再上映が果たされるなど
にわかに見直されつつあるというんですから
ホントわからないものですね…
でもあらためて
セピア調の神話的なまでに美しい映像と
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チミノ特有のくどいまでの集団描写が
観る者を圧倒します
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とまあ
本作の致命的な失敗で
チミノの評価は一気に失墜し
事実上
映画界から干された形になるも
やがてイタリアの大物プロデューサー
ディノ・デ・ラウレンティスから声をかけられ
奇跡の復活を遂げます
そうして5年後の1985年に発表されたのが
『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』です
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ニューヨークのチャイナタウンを舞台に
ミッキー・ローク演じる偏執狂的な刑事と
ジョン・ローン演じるチャイニーズ・マフィアとの
熾烈な戦いた描いたドラマです
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いやあ
この映画、思い出すなぁ
と
再び時を遡ること30年前
僕が高校1年生の時のこと
友達がこの『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』の試写会に抽選で当たり
僕も一緒に連れて行ってもらいました
場所は
かつて渋谷駅前にあった東急ビルの中の映画館「渋谷パンテオン」
そこの会場に
なんと
ジョン・ローンとマイケル・チミノ本人が
実際に来場したのです
ふと
多くの観客に混じって
その光景を眺めていた僕の
ちょうど真隣にいたおばちゃんが
レッドカーペットのような絨毯を
ゆっくりと歩いていた
ジョン・ローンに向かって
おもむろに
「Hey、John〜
You’re Welcome!」
と大声で叫ぶでは
あ〜りませんか
するとその声に気づいたジョンが
すぐさま振り向き
そして笑顔でこっちに歩いてきて
僕の横にいたおばさんに
親愛のハグをしたのです
う〜ん
あのおばさんは一体何者だったのか⁈
評論家か何かだったんでしょうかね
いやはや
隣にいた僕は
思わずのけぞってしまった次第です
とまあ
僕は実は
当時からミッキー・ロークに注目していまして
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正直
ミッキーが来るのかと期待していましたが
やってきたのはジョン・ローンの方で
って
それよりも何よりも
内心、僕が一人密かに熱狂したのは
他ならぬ
マイケル・チミノ監督でして
おお
『ディア・ハンター』の監督が
目の前にいる
と本当に感激したのを覚えています
来日時のジョン・ローンとチミノ監督
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懐かしいですね
というわけで
マイケル・チミノという人は
商業主義という枠に到底収まりきらない
とてつもないスケールの人
自分だけの明確なビジョンを持っていた人
そういう意味では
映画監督というよりむしろ
作家肌の人だったんですね
さらにはロシアや東欧系、中国系、イタリア系移民など
エスニシティへの関心が強く
そうした題材を作品に少なからず反映させ
故に常に作品が
社会的、政治的な側面から語られ
賛否の渦に巻き込まれることが多かった人でした
って
なんでも近年は
性転換手術をしたとかいう報も流れ…
う〜ん
ここしばらくは映画製作からも遠ざかり
亡くなった際に出回った写真も
かつての面影は微塵もなく
ホント別人みたいな風貌でしたからね
ちょっとびっくりですが
往時が偲ばれます
いずれにせよ
マイケル・チミノ
大監督でした
あらためてご冥福を祈ります
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