映画『真夜中のカーボーイ』
ニューヨークの
マンハッタンとブロンクスをつなぐ
ウィリス・アベニュー橋を歩く
若き日のジョン・ボイトとダスティン・ホフマン
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ここ3年ほど毎年ニューヨークを訪れていますが
朝
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昼
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夜を問わず
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ニューヨークの雑踏をぶらついていて
絶えず僕の脳裏をよぎる情景は
ウディ・アレンの『アニー・ホール』や『マンハッタン』
スコセッシの『タクシードライバー』
そして何より
シュレシンジャーの『真夜中のカーボーイ』の
シーンの数々ですかね
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1969年公開
ジョン・シュレシンジャー監督による
言わずと知れたアメリカン・ニューシネマの傑作です
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かれこれ半世紀近く前の作品で今さら感満載ながら
やっぱり大好きな映画です
ニューヨーク・オールロケで撮られた本作は
イギリス出身の監督の
ある種、外から見た目を通して
1960年代当時の
この大都会の習俗や生の姿を冷徹に映し出しています
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男娼になって荒稼ぎすることを夢見て
テキサスからニューヨークに出てきた田舎者の青年ジョーと
イタリア系で“ラッツォ(ネズミ)”と呼ばれる、狡猾な詐欺師リコによる
奇妙な友情と絶望の物語
テンガロンハットにカウボーイ姿のジョーと
チンピラ風のラッツォの
垢抜けない奇異な出で立ち
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乱立する企業広告
マスメディアはもとより
ハリウッド映画に象徴される様々なイメージが
実体よりも優先される資本主義大国アメリカ
本作の主人公2人は
そんな古き良きアメリカの幻影に生きる人物像を体現し
そしてアメリカン・ドリームを夢見るも
やがてそんなものは幻想に過ぎなかったということを
身をもって知らされます
映画は泥沼化するベトナム戦争によって疲弊した
1960年代末のアメリカ社会の現実を
底辺をさまよう2人の若者を通して
克明に描写していきます
主人公2人がとてもいいのですが
なんてったってラッツォ演じるダスティン・ホフマンが最高ですね
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足が不自由で、肺を患い始終ゴホゴホやりながら
詐欺や万引きなどで辛うじて食いつなぐラッツォの
濁った瞳と子供のように屈託のない笑顔が印象的です
取り壊し寸前の廃墟のような住居に転がり込むようにジョーが移り住み
つかの間の共同生活を送ることに…
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互いに身を寄せ合う2人
孤独で切ないですが
そんな中どことなく
同性愛的なニュアンスもほのめかされています
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さらに映画には
60年代当時の先端ともいうべき
サイケデリックなパーティのシーンも盛り込まれていて
とても興味深いですね
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ポップアートの鬼才アンディ・ウォーホルが主催していたアート空間
「ファクトリー」の常連もこのシーンに多数出演しています
ウォーホルの実験映画に多く出ていた個性派女優のヴィヴァ・ホフマンなど
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ここらへんはなんともドキュメンタリーの風合いが強く
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時代の空気をリアルに感じさせますね
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そして待ち受ける厳しい現実と残酷な結末…
映画はひたすら絶望の淵を喘ぎながら
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やがて太陽の光が眩しいフロリダへ行くことを夢見るも
その行きのバスの道すがらで
息をひきとるラッツォを捉えて
終わりを告げます…
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60年代アメリカの光と影
本作の
そのどこまでもリアルな情景と風情が
半世紀後のニューヨークを堪能する僕の中に
時折、唐突に入り込み
そしてその度に
少なからぬ感慨に身を任せた次第です
というわけで
『真夜中のカーボーイ』
何度観ても最高です
なぜなんでしょうか?
映画の記事には吸い込まれてしまいます。
理屈なんか要らないのでしょうが、
その人の気持ちが文章に乗るからなのでしょうか?
大切な原点に気づかせてくれます。
>(株)第二営業部 教授さん
コメントありがとうございます。
やはり好きという気持ちが文章に伝播するんでしょうか^ ^⁉️
他の文章もかくありたいものですね(^^;。