映画『ピアノ・レッスン』
映画評
1993年公開のオーストラリア、ニュージーランド、フランス合作の
『ピアノ・レッスン』
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監督・脚本は
ニュージーランド出身の
ジェーン・カンピオン(1954-)
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この年のカンヌ国際映画祭で
最高賞となるパルムドールを受賞
また米アカデミー賞において
ホリー・ハンターが主演女優賞を
娘役のアンナ・パキンが助演女優賞を
受賞したことで話題となりました
原題は『The Piano』
う〜ん
なんとまあ
シンプルなタイトルでしょうか
本作を表す象徴的なショットである
曇天の空の下
海辺に置き去りにされた1台のピアノ
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19世紀半ばのニュージーランド
写真結婚でニュージーランド入植者のスチュアートに嫁ぐため
娘フローラと共に
スコットランドからやって来たエイダ
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エイダは幼少の頃から口がきけず
ピアノが彼女にとって唯一の感情表現の手段だった
しかしニュージーランドへの移住の際に持ってきた1台のピアノを
夫のスチュアートは重すぎるとして
浜辺に置き去りにしてしまう
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そんな折
原住民マオリ族と行動を共にするベインズは
エイダに興味を抱き
自分の土地と引き換えにしてピアノを引き取る
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そうしてベインズは自分にピアノを教えるなら彼女にピアノを返すと提案
仕方なく受け入れるエイダだったが
レッスンを重ねるうちに
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やがて2人は肉体関係を結ぶようになる…
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しかし2人の関係を知ったスチュアートは
嫉妬に狂い
怒りに任せて
斧でエイダの指を切り落としてしまう…
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つくづく
ピアノは文明のメタファー
そしてこのピアノは
ニュージーランドという未開の地に嫁いできた
エイダそのもの
文明と未開の
およそ相容れない様…
って
密林の中で生活するには
あまりにそぐわない身なり
慣れない生活習慣…
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そんな中
浜辺のピアノを弾くことで
つかの間
己を取り戻すエイダ
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口のきけないエイダの
饒舌なピアノの音色
いやあ
この緩急が自在な
抑圧と解放のコントラスト
ピアノに合わせて
夢中で踊る娘のフローラと相まって
なんて美しく高揚感に溢れたシーンでしょうか
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何より圧巻は
スチュアートという夫がいるにもかかわらず
野生の男ベインズに惹かれていくエイダが
次第に垣間見せる
ありのままの
本質的な姿
無表情で口がきけず
常に硬い殻に閉じこもっていた
この貞淑なエイダの
しかし
どこまでも内に秘めた
ゆえに
激しく燃え上がる欲望の炎
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と
ピアノを介して
エイダとベインズが愛し合うに至る
この一連のプロセス
そして官能的なラブシーンは
一見すると
この〜
ヘンタイ
…って
スレスレのシチュエーションながら
たぶんにカンピオン監督の女性ならではの
性に対し奔放で遠慮のない視点が入っていて
観ていてドキッとさせられますね
常に黒の長いスカートを身にまとう
近代西洋女性の保守的で受動的な佇まいから
一転
窮屈なガードルを脱ぎ捨てて
愛にのめり込んでいく一途な女性を
ホリー・ハンターがリアルに熱演しています
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また始めは体目当てだったが
徐々にエイダを本気で愛するようになる
無学だが、愛情深い男を
ハーヴェイ・カイテルが人間味豊かに演じています
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文明と未開の
異質な価値観
その様々な衝突と受容
そして邂逅…
原住民マオリ族に同化したベインズと交わることで
やがてエイダは
女性としての真の自立に目覚めていく
つまりベインズは
エイダ覚醒のための触媒であった…
理解のない夫から離れ
大海原へと飛び出したエイダは
自身の拠り所としていたピアノを海に捨てることで
真の自由を獲得
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義指を装着し
ベインズと共に
新しい生活へと力強く踏み出していくのです
いやあ
なんという
ラディカルで鮮烈な映像表現でしょうか
というわけで
『ピアノ・レッスン』
ニュージーランドの大自然を舞台に
マイケル・ナイマンの奏でる官能的な調べとともに
シンボリックなシーン満載で織りなされる
鬼才、カンピオンの濃密な人間ドラマの傑作
あらためて必見です
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