映画『君たちはどう生きるか』
ただいま絶賛上映中です
宮崎駿(1941-)が引退を撤回して発表した
謎に満ちた新作
『君たちはどう生きるか』
↓↓↓
広告を一切打たず
上記のポスタービジュアル以外
何の前情報もなしで
劇場公開に踏み切るという
異例の手法が話題を呼び
いま現在も
順調な動員数を見せています
う〜ん
さすがは宮崎駿
引退後10年を経てもなお
その実力、影響力、期待度の高さは
根強いものがあるんですね
↓↓↓
…
太平洋戦争末期
少年マヒトは
母を空襲で亡くし疎開
程なくして父が母の妹と再婚し
新生活を送ることになったものの
新しい環境を受け入れられずにいた
そんなある日
彼は大叔父が建てたという洋館を発見し
謎のアオサギに導かれながら
洋館に足を踏み入れる
…
いやあ
観る前に抱いていた想像と
まるで違っていましたね
老境の宮崎が
達人の域に達するが如く
テーマを一点に絞って
それ以外は
潔く切り落とし
いわば贅肉を削ぎ落とし
ストイックに描き切る
な〜んていう
境地では
決してない…
引退を撤回して臨んだ本作は
僕の勝手な予想とは
まるで真逆で
もう足し算のてんこ盛り
過去の宮崎作品を彷彿させるシーン満載で
まるで集大成のような様相を呈しています
う〜ん
これがおそらくは事実上の
最後の作品なので
悔いの残らないよう(!)
詰め込むだけ詰め込んだのかなと
はじめはそんな感想を抱いたのですが
ふと
ん
いや待てよ
もしや宮崎は
全然辞める気がないのかも⁈
よくよく本作は
まるで少年のような瑞々しい感性で
溢れんばかりのイマジネーションを展開しています
宮崎監督の中で
描きたいビジュアルが
明確にあるんでしょうね
すでに80歳を超えて
なお
いまだ
創造の泉が尽きていないということに
まずもって
驚かされます
と
でも
あらためて
宮崎にとって
創作の何よりの原動力となったのは
ここ近年の世界を襲ったいくつかの危機
それによる環境や価値観の
劇的な変化ではないでしょうか
コロナ
戦争
生活苦…
ここ日本においても
犯罪が多発し
にわかに安全が脅かされ
世の中全体が不穏なムードに覆われてしまっている
そのような現状を前にして
宮崎自身
おそらく
自問自答したのではないでしょうか
“どう生きるべきか“
と…
そして
宮崎の
じっとしていられない性分と言いましょうか
現在のこの
悪意に満ちた混沌とした世界を
ただ黙って見ているわけにはいかない
つまりは
彼の中の
いわばクリエイター魂に
再び火がついたのではないか
そうした
猛烈な焦りや使命感が後押しをして
結果、生み出されたのが
本作ではないか
僕は
つくづくそう感じます
それはまるでピカソが
スペイン内戦の最中の1937年に
大作《ゲルニカ》を描き
銃ならぬ絵筆でもって
反戦と抵抗を表明したように…
宮崎は
自身の少年時代に
思いを馳せながら
現代の危機を
将来に対する深い憂慮を
そして
そこに立ち向かう勇気を
“悪意”という言葉とともに
己の筆で表現したのではないでしょうか
さらに言い換えるなら
本作は
クリエイターとして生きる
表現者としてこの時代を生き抜く
という
宮崎の
強い意志の表明
とも捉えることができましょうか
と
映画は
太平洋戦争時のリアルな風景の中から
逸脱するかのように
ふとしたタイミングで
異世界へと突入していくのですが
豊穣なイマジネーションに
驚き、戸惑い、魅せられつつも
その映像のトーンは
ちょっと大人向きといいますか
どぎつさと禍々しさに満ち
早いテンポで忙しなく
少なからず
観ていて自ずと
不安に駆られたりします
よくよく
鳥も気持ち悪い…
これは上述したように
現代の混沌とした世界を表すがゆえに
否応なく
リアルでグロテスクな表現になるのかなと感じましたが
つくづく
『もののけ』や『千と千尋』あたりがそうですが
本作でも同様に見られる生々しい描写は
明らかに子どもを意識した作りではない
というより
子どもとか大人とか
そういった括りを
一蹴する
ある種の普遍性
一見、理解ができず
とっつきづらい内容ながら
誰もが魅了されずにいられない
そんな
突き抜けたエネルギーを
また
つぶさなディテールと類稀なスケール感を併せ持った
自由自在で奔放なアニメという映像表現の可能性を
本作は
余すことなく示しているように思います
いやはや
圧巻ですね
宮崎駿恐るべしです
その上で
さあ
そして
“君たちはどう生きるか”
を
映画は
観る者に問いかけます…
おっと
すっかり長文となってしまって
それでもまだ書き足りないところですね
というわけで
『君たちはどう生きるか』
巨人・宮崎による執念の力作
これは必見です
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