映画『ファイト・クラブ』
ふと
価値観が多様化した現代において
映画や他のメディア媒体は
人々の内面に
実際どれほど関与することができるのでしょうか?
プロパガンダ的な側面
いわば思想統制を施すことは
果たして可能なのでしょうか?
まあ潜在意識下に刺激を与えるサブリミナル効果が
映画やテレビ放送などで明確に禁止されているところからも
そうした影響が少なからずあることは
論をまたないでしょうがね…
1999年製作
デビッド・フィンチャー監督の
『ファイト・クラブ』
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空虚な生活を送る青年ジャックは
謎の男タイラーと出会うことで
やがて暴力のスリルに目覚め
生きる活力を取り戻していく
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そうして2人は男たちが殴り合う秘密集会
「ファイトクラブ」を設立
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しかし暴力の度合いは次第にエスカレートしていき
いつしか会は犯罪組織の温床と化していく
…
暴発する欲求
願望の顕在化
カルト生成の芽が育まれる土壌と動機づけ
そうしたプロセスの中で
映画はやがて決定的な沸点に達します
いやあ
鮮烈な赤のレザージャケット姿で過激な行動にひた走る
ブラピの圧倒的なカリスマ性
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病的なノートンの底知れぬ二面性
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地下で殴り合う男たちの異様
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観る者の脳髄を揺らす
刺激に満ちた映像と音
既成の価値観の転覆を目論む
挑発的なストーリー展開
映像メディアが氾濫した現代の情報社会の
まばゆいばかりの光と
横たわる闇
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映画は
度々インサートされるサブリミナルな映像とともに
数々の隠喩やブラックユーモアを散りばめながら
その抗いがたい魅力に溢れた“毒”を
観る者の心の隙間に注ぎ込んでいきます
そうして観る者の意識をジャック
しかしなんとまあ
ダークでサイコな魅惑の世界観でしょうか
どこまでも映画の中の話
ノートンの頭の中の話
…ですが
いっそ支配されても構わない
本作は
ブラピの妖しいまでの存在感とともに
思わずそんな気にさせられる
強い磁力に満ちています
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というわけで
『ファイト・クラブ』
世紀末にフィンチャーが放った
真にラディカルで
そして危険な映画です
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