落合陽一『デジタルネイチャー』

う〜ん

何とまあ独創的な発想でしょうか

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デジタルネイチャーとは?

メディアアーティストとして知られる

落合陽一が提唱する概念で

「コンピュータと非コンピュータリソースが親和することで再構築される新たな自然環境」

として捉えられる世界像である、と

彼はデジタルネイチャーを

「人・モノ・自然・計算機・データが接続され脱構築された新しい自然」

であると述べています

さらには

「成熟したコンピュータ技術により、あらゆるものがソースコードとして記述され、人や自然などの物質と、仮想的に再現された実質が不断の連続的な関係に置かれる、それによって旧来の工業化社会とは違った世界の在り方、価値観、環境が実現する」

と、いやはや

これは単なるITによる効率化と合理化の

追求どころの話ではありません

AIと人間の協業

嵩じて

増大する第3のパワー

テクノロジーによる身体や感覚器の拡張

身近な話ですと

メガネ的な発想

=つまりは道具による補完、補強

まさにサイボーグ009の世界ですが

それにとどまりません

そこから

「人間の多様性の実質的な拡大が生まれ、テクノロジーがその差異を吸収する」

そうした一連のプロセスの中から

「人間中心主義から機械と人間のハイブリッド主義、そして知能による自然への変化」

に至ると提唱しています

さらには

果たして人間に自我はあるのか?

という命題

そして

「今後は実質(=バーチャル)と物質、機械と人間の区別がつかない世界になる。

そのとき我々に残るのは理性や論理を超えた宗教に近い価値観ではないだろうか。

そのとき私たちの考えていた人間らしさについての概念、つまり人間性そのものが脱構築されていくのだ。

テクノロジーの発達が

やがて科学の対極に位置する

宗教へと近づいていく妙

ここまでくると

もはや哲学の領域ですね

さらにさらに

人間の生物的限界を超えた知性の出現

個人の人生を超越した全体性を想定する場合、変化はより長いタイムスパンに及び、緩やかな速度で進む。

この時間尺度で捉えたインターネットは人間の集合知であると同時に、人類の生物学的限界を超えた寿命から切り離された知識と言えるかもしれない。

そうして

「生物と風景、人と環境、テクノロジーと人為(アート)のもたらすプロセスの中に、デジタルネイチャーが表出している。

それは技術論と社会と作品を通貫しながら、進化を続けるプロセスだ。」

人間が人間らしく生きることの自己矛盾

「情報のもたらすより自由な世界と、私たちの持っている常識との間、どう人間的であるべきかの規範の間にギャップが生じている。

もはやニーチェをも克服

「何者かになろうとすることが善であるような考え方に支えられた人間性を持ち続ける必要はない

寺山修司すら否定⁈

コンピュータのもたらす社会と人間性の変化を見つめ

あらゆるものにコンピュータが内蔵され

いつでもどこでも

コンピューターの便宜を得られる

ユビキタス時代を生きる上で

否が応でも求められる

いわばパラダイム転換の必要性を

歴史的な考証に基づく

必然的な未来像の提示とともに

詳細に解き明かしていきます

しっかし

驚くべき目の覚めるような視点の数々です

僕もまだまだ理解できない部分が多いですが

それでも本書を読み進めるにつれて

どんどんと目が見開かされてくるのを認めます

でもそうは言っても

僕が古いだけなのか

落合が創作を試みる

デジタルネイチャーによるアート作品に対して

正直ちょっと

懐疑的な印象もないわけではないかな

まあいずれにしても

落合陽一の示すビジョンが

来るべき時代を生きる僕らにとって

確かな指針のひとつとなることは

間違いないでしょうね

というわけで

この若き天才の

今後の動向に要注目です

おまけ

他の著作本も面白い

どれも必読です

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