映画『ジョーカー』

つくづく物事には常に両面

さらには両極があって

人間は決して一方だけに偏ったりできないもの

両極の一方に依れば依るほど

もう一方に強く引き戻され

結果的にプラスマイナス=ゼロに収束していく

例えば善悪という両極を例にとってみても

100%オール善

あるいは100%オール悪

そんな人間はいないと思います

完璧な善人なんて

もしいたとしたら

そんな人は胡散臭いったらありゃしない

裏で何やってるかわかったもんじゃない

闇があるからこそ光が輝くのであって

光しかない人なんているはずがない

人は大なり小なり闇の部分

人に知られたくない秘密の一つや二つは持っているもので

そうやって

なんだかんだバランスを保っている

そんな至らない存在です

でもそうした至らなさ

不完全さこそが人間なのだと思います

反対に完璧な悪人もしかり

果たして精神のバランスを崩すことなく

悪に走り続ける人はいるのでしょうか

いつかどこかで不安に苛まれ

いたたまれなくなるのが普通ではないでしょうか

それは人間には良心や想像力があるからです

そうした人間に本来備わっている特性が抑止力として働き

に傾いた分だけに揺り戻されていく

勝手に自浄作用が働いて

最終的に真ん中に戻っていく

どんなに悪事を働いた人でも

最後はその分だけ徳を積んだり

罰を課せられることになる

(どんな形かはわかりませんが…)

何が言いたいのかというと

100%一つの側面に徹しきれるほど

人間は強くないということ

でもそうした弱さこそが

人間の人間たる所以で

もし仮に完全無欠な人がいたとしたら

その人はもはや人間ではない

神です

これは存在としてではなく

概念としての話です

100%オール善

100%オール悪

という人間がもし仮にいたとしたら

その人は神に違いありません

そう考えると

神とは

どちらか一方に完全に依れる人

と定義づけることができますかね

って

すっかり前置きが長くなりましたが

ただいま絶賛上映中です

トッド・フィリップス監督の

『ジョーカー』

↓↓↓

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この映画はつまるところ

ひとりの男が人間から神になる話です

彼はいかにして

100%悪の存在=ジョーカーとなったのか?

映画は

コメディアンになることを夢見るひとりの男が

バットマンの宿敵

ジョーカーへと変貌を遂げるまでの軌跡を

絶対悪の土壌が形成されるに至る社会背景や

虐げられてきた環境

ある決定的な出来事を通して

余すことなく描いています

しっかし果たしてこの映画が

アメコミ映画のカテゴリーに入るのでしょうか

ジョーカーのいわば原点を描いた本作は

絶望的なまでに暗い人間ドラマです

主人公アーサーに課せられる

救いの一片すらどこにも見出すことができない

不幸のオンパレード

つまりは100%悪の存在へと至った要因は

彼を心身ともに追い詰める100%の不幸にあった、と

あらためてジョーカーとは

情緒や憐憫、良心のかけらもない

完璧な悪のこれ象徴で

ゆえに彼は神として祭り上げられるわけですが

100%云々という理屈が通ることそれ自体が

シチュエーション的にはどうにも劇画調で

やはりアメコミだな

との認識を抱く一方で

いやいや

これはある精神を病んだ男が一線を越え

悪の扇動者となって

人々から神として崇められていくプロセスを

象徴的に描いた

ある種の寓話であり

よくよくこれは

アメリカ社会の今を映し出した

まぎれもないリアルな話ですよね

(どっちやねん…)

それはそうと現代は

ジョーカーに熱狂することがイケてるとされる風潮なんでしょうね

まあコスプレが人気の昨今

特にはただいまハロウィン・シーズンという時節もありましょう

現実にジョーカーのペイントを施したコスプレイヤーたちが

あくまでジョーカーを気分として模倣し

ファッション感覚で身にまとう

このいかんともしがたい軽さ

それが時代と言ってしまえばそれまでですが

ファッションとして身を包むには

本作のジョーカーはあまりにネガティヴで

そういった軽さが不謹慎なくらい

深刻なまでの沈鬱さをはらんでいます

ふと思い返すと

『ダークナイト』(2008)の時も

ヒース・レジャーが文字通り命を削って演じたジョーカーに

観客は熱狂しましたね

まあヒース版ジョーカーは

天才的な頭脳の持ち主で身のこなしも軽く

純粋悪のカリスマ的な存在感が

カッコいいともとれるキャラでしたので

観客のそういった反応は

ありだったかもしれませんが

今回のホアキン版ジョーカーは

カッコいいとか

カリスマとか

頭脳明晰とか

そういったタイプとは程遠く

どこまでも陰湿で内向的で気味が悪く

この世の負を一身に背負ったかのような絶望的なキャラなのでね

でもだからこそ

彼は神になり得たわけですが

しっかし主演のホアキン・フェニックスは

やばい

↓↓↓

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痩せ細った歪な身体

暗くどんよりと狂気を宿す目

何より衝動的に起こる笑いを自制することができない様など

もう完全に憑依しています

自意識過剰でナルシスティック

どこまでも内向きなその風情は

ドストエフスキーの『地下室の手記』を地で行くようであり

あるいはヴィンテージ風の衣装とも相まって

どこかギャロとイメージが重なりますが

何より本作にも出演してますが

『タクシードライバー』のデ・ニーロを思わず彷彿させますね

それとゴッサム・シティーという架空の都市って

これまんまニューヨークですね

80年代ということになってますが

70年代後半の

つまりは映画『タクシードライバー』の時代背景にだいぶ近い

政治への不信

泥沼化したベトナム戦争によって疲弊し病んでいた

70年代当時のアメリカ社会における

民衆の鬱屈したフラストレーション

それを現代になぞらえ

極度に広がった格差社会における民衆の不満が

沸々と蓄積し

そして暴発するという構図

ポピュリズム全盛の今とそう大差なしで

まさに現代は70年代の再来と言えましょうか

つくづく

目の前に映し出される映像は

リアルな現実のようでいて

でもどこまでも架空の世界ともいえ

あるいは

ジョーカーの妄想の産物のように見えなくもない

破壊願望の顕在化

現実か

アメコミか

はたまた妄想か

限りなく境界線が曖昧な

しかしすべては

ジョーカーによって作り出されたコメディか?

↓↓↓

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というわけで

すっかり長々と書き連ねてしまいましたが

それでも書ききれません

『ジョーカー』は今年を代表する1本ですね

まぎれもない傑作です

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