映画『フランドル』

2006年のフランス映画

『フランドル』

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監督・脚本は

僕が密かに現代最高の映画作家と目している鬼才

ブリュノ・デュモン(1958-)

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う〜ん

この人の映画はどれもすごいです

人間の赤裸々なあり様を

突き放したような冷徹な眼で捉え

その本質の姿を

容赦なく炙り出します

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フランドル地方の

小さな村に住む少女バルブは

彼女に思いを寄せるデメステルと体を重ねる一方で

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カフェで知り合ったブロンデルとも関係を持ち

彼の子を宿してしまう

そのことを気にかけるデメステルだが

やがて男たち2人は

共に戦場へと出兵するが

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石と砂埃が舞う荒涼たる戦地における

苛烈を極めた戦闘と

そこで行われる凄惨な殺戮

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モラルの崩壊

剥き出しの暴力によって

白日の元にさらされる兵士たちの本性

自身に眠る残虐性が

戦争という極限の状況下において

図らずも顕在化します

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愛する男たちが戦場で直面する

精神的な危機に

故郷フランドルにいる少女バルブが

本能的に感応

女の勘とでもいいましょうか

遠い彼の地で

人間性を喪失していく彼らに共鳴し

ある種のシンクロを起こします

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多感な思春期の少女が持つ

その危ういまでに研ぎ澄まされた感受性

バルブは感情をかき乱され

徐々に追い詰められていき

まるで戦場で蛮行を繰り返す男たちが犯す罪を

たったひとり

一身に背負うかのように

村の男たちに次々と身を委ね

そして

やがて

精神を病んでいくのです

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少女の想いの強さ

どこまでも純粋でひたむきな眼差し

ゆえの

剥き出しの

その

ありのままの姿

映画は

終始淡々と

バルブの変容を見つめ続けます

そして精神病院に収容され

苦悩に苛まれる

少女の中に

神を見るのです

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残酷な現実の渦中で

バルブが身にまとう聖性

自ずと宗教的な色合いを帯びます

その後

デメステルが戦地からひとり帰還

正気に戻ったバルブは

彼がブロンデルを見殺しにした事実を見抜いていたものの

うろたえるデメステルを無言のうちに受容するのです

そうして

世界が

日常が

再び取り戻されていく

かのフランドル絵画と見紛うばかりの

黄金色に美しく輝く

牧歌的で叙情的な田園風景と

地獄絵図を見せる戦場との

鮮烈なまでのコントラスト

つくづく

この対比は

映画の即物的で唐突で

虚飾を剥ぎ取ったような

ひんやりとした肌触りのリアル感を

いっそう際立たせる効果を生んでいます

本作における戦争は

中東を思わせる場所であるという以外は

何ら特定されていない

架空の設定ながら

しかし本作は

価値観が多様化し

明日の見えない現代社会が抱える闇を

紛れもなく映し出し

その上で

様々な悪意に満ちたこの世界における混沌を

受け止め

そして

赦すことの意味を

観る者に静かに問いかけます

いやあ

なんてすごい映画でしょうか

あらためて

本作は

鬼才、ブリュノ・デュモンによる

まこと恐るべき傑作です

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