実の部分
果たして
資本主義の論理に
情緒が入り込む余地は
ないのでしょうかね…
論理に対しての情緒
あるいは他に
事実に対しての推測、思い込み
実質に対しての形式、体裁
不義、不適に対しての
公正、正義、モラル…
まあ
正しいか正しくないか
という観点は重要ではないのでしょうね…
この資本主義社会においては
あくまで前者に
理がある
得がある
ように思います
と
今後の世界の行く末に対する危機感から
世界各国で課題を整理し
解決方法を考えて
2030年までに達成すべき
具体的な目標を明示した
「持続可能な開発目標」
いわゆる「SDGs」ですが
どこまで本気モードを醸成できるのか
実の部分で
本気モードの意思はあるのか
う〜ん
果たしてどうなんでしょうか?
現状は
パフォーマンス
いわばポーズとしての取組みに
終始しているような気がします…
まあいくら「SDGs」が叫ばれても
正直なところ
とかく資本主義社会において
それらは
実の部分では
あまり関係がないように
つい思っちゃいますが
ホント果たしてどうなんでしょうか…
いやはや
というわけで
おまけ
1979年のアメリカ映画
ノーマン・ジュイソン監督の
『ジャスティス』
↓↓↓
正義漢の弁護士に扮した
アル・パチーノが
感情をかき乱して
とにかく吠えまくります
ある種
清々しいまでの
敗北感に満たされるラスト
↓↓↓
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