映画『ランブルフィッシュ』
映画評
1983年製作のアメリカ映画
フランシス・フォード・コッポラ監督の
『ランブルフィッシュ』
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『ゴッドファーザー』や『地獄の黙示録』など
重厚で社会性に富んだ作風で知られた巨匠は
心境の変化なのか
80年代前半に青春映画を立て続けに撮り上げます
一本目が
ご存じ
『アウトサイダー』(1983)
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言わずと知れた
当時の若手スター総動員の人気作
…で
二本目が本作
と
『アウトサイダー』の華やかさに比べて
この『ランブルフィッシュ』の
いかんともしがたい
地味さ…
う~ん
同時期に撮ったこの二作は
まさに光と影のように対をなしていますが
個人的に僕は断然
『ランブルフィッシュ』の方が好きですね
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…
不良少年ラスティのもとへ
しばらくいなくなっていた憧れの兄が帰ってきた
兄は“モーターサイクルボーイ”と呼ばれ
皆から一目置かれていた伝説の不良
しかし兄にかつての面影はなく
別人のように穏やかな男になっていた…
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主要キャストは『アウトサイダー』に続き
マット・ディロンとダイアン・レイン
そして若き日のニコラス・ケイジやショーンの弟クリス・ペン
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さらに父親役に
リアル・アル中演技のデニス・ホッパー
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他にも
酔いどれ歌手のトム・ウェイツや
コッポラの娘ソフィアなどなど
実は何げに豪華キャスト
…にもかかわらず
この全編を覆う
どうしようもない暗さは
一体なんでしょうか
その元となる張本人が
諦念漂う兄を演じた
ミッキー・ロークです
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いやあ
実際のところ
この映画はもう
ミッキー・ロークに尽きる
と言っても過言ではないでしょう
とにかくハマっています
(それにしても若いなぁ…)
映画は全編ほぼモノクロで
これも暗さを醸し出している要因なのですが
実は
劇中のミッキー演じる兄が
色盲でして
ゆえにこの映画は
兄の目から見た世界と言えましょうか
ストーリーも上述の通り
そう起伏があるわけでなく
まあいわば
映画そのものが
兄であるモーターサイクルボーイの
心象風景なんですね
なのでストーリーのみを追っかけるように本作を観てしまうと
どうにも単調で退屈な感を否めないのですが
なんのなんの
本作の面白さはストーリーにあらず
この
精神が荒廃した兄を通して見た
そのいびつな世界観にこそあるのです
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目の前に展開される映像から漂う
えも言われぬ虚無感
オープニングの低速撮影による激しく行き交う雲や
日が落ち、夜になるまでの時の移ろい
さらに地上では
まるで地の底から這い上がるような煙の数々…
配管から出る蒸気や舞い上がる砂埃、タバコの煙など
にわかに漂う無常観
また兄弟が街をあてどもなく徘徊する様や
チンピラに頭を殴られた弟が
いっとき幽体離脱し空をさまよう
そうした浮遊感…
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う~ん
実験的な手法を取り入れた撮影や
独特のテンポを生む編集
遠近法を多用した鋭角的な構図
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スチュワート・コープランドのクールな音楽も相まって
映画は終始
現実味のない不思議なトーンを宿します
兄に一体何があったのか?
何が兄を変貌させたのか?
映画ではそうした背景は一切語られません
でもそんな得体の知れない奥底を秘めた
ゆえに奇妙な存在感を持った兄を
ミッキー・ロークが見事に体現してみせます
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その浮世離れな佇まい
ニヤニヤと笑いながらボソボソと囁くようにしゃべる仕草が
とにかくかっこいいんですよね
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劇中
兄は街のペットショップに入り
水槽の中で殺し合う闘魚(=ランブルフィッシュ)に
いつまでも見入るようになり
やがてその魚たちを川に放してやろうとします
全編モノクロの中で闘魚にのみ
赤や緑のカラーをつけるという実験的な試み
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闘魚に自分たちの姿を重ね合わせ
今の世界を抜け出してもっと広い世界を見ることを
弟に身をもって教えようとして
結果
警官の銃弾に倒れ、命を落とす兄…
ふと
兄は
実は帰ってきた時から
すでに死んでいたのかもしれない…
そんな気にさせられる
あまりにも現実的な兄の死…
いやあ
大人への成長過程における
ある象徴的な出来事の一断片を
鮮やかに切りとってみせるあたり
あらためて
コッポラの確かな手腕に脱帽です
本作は
まぎれもない青春映画の秀作と言えましょう
そしてそれにもまして
う~ん
80年代の頃のミッキーは最高でしたね
おまけ
演出中のコッポラ監督
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