映画『自由の幻想』

スペインが生んだ

シュルレアリスムの巨匠

ルイス・ブニュエル監督の

1974年製作の映画

『自由の幻想』

↓↓↓

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う~ん

この人の映画は

ホント一筋縄ではいきません

あまのじゃくといいますか

ホトホトひねくれています

まあそれもそのはず

この人は1920年代

詩人のアンドレ・ブルトンらによって

パリで勃興したシュルレアリスム運動に

自ら身を投じ

画家のダリと共同で製作した

『アンダルシアの犬』で

そのキャリアをスタートさせているのですから

しっかし

この『アンダルシアの犬』が

1928年に作られたという事実に

まず驚かされます

あまりにも有名な

カミソリで眼球を切られるシーン

↓↓↓

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今じゃ前衛映画の古典として名高いですが

う~ん

その強烈なビジュアル表現が

当時の観客に

果たしてどのように受け止められたか

その空気感は知るよしもないですが

ブニュエルは

この自身の初期の代表作から

メキシコ時代を経て

やがて円熟の境地に達するまで

一貫して

自由とは何か

を追い求めていたように思います


ブニュエルのスタンスは

どこまでも斜に構えシニカルではありましたが

人を喰ったような

その不敵な笑みが印象的な監督です

↓↓↓

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ということで

今日ご紹介の作品ですが

う~ん

とにかくまあ

かなり変わった映画です

ストーリーはよくわかりません

エピソードの羅列といいますか

なんの脈絡もないまま

話が語られ次のエピソードへと移り変わっていきます


話そのものが

これがまた

シュールぅ~

(クルットさん風)

タイトルが『自由の幻想』とあるように

自由であるということが

一体どういうものなのかを

監督一流のブラックジョークで紡いでいきます

例えば

世界遺産のような風景写真を

卑猥なものとして排除する夫婦であったり

あるホテルの一室で

母の病気が治るよう祈りを捧げる司祭たちが

トランプの賭けごとに興じたり

そこにSM趣味のカップルがいたり

別の部屋では叔母さんと甥の禁断の関係が繰り広げられたり

極めつけは

食卓で排泄をし

トイレで食事をする家族

↓↓↓

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何じゃそりゃ~

う~む

他にも

自分の娘が目の前にいながら

その娘の行方不明届を警察に出す夫婦であったり

無差別連続射殺をし死刑を宣告されるも

なぜかヒーローとして人々にサインをねだられる殺人犯

などなど

いやはや

自分でも書いていて

なんとも意味不明に陥ったりしがちですが

まるで

モンティ・パイソンのようなナンセンスギャグか

はたまた

お笑いのコントを見せつけられているようです


ここがなんともユニークなのですが

この映画は

決して笑わせようとしているわけではないということ

役者さんたちはどこまでも大真面目に演じてます

ではシリアスかといえば

そこまではいきませんね

つまりは

夢の世界のような異空間

不条理の連鎖

奇妙なパラドックス(=逆説、矛盾)のイメージです

そして真の自由というものは

尊い反面

とても低俗にもなり得るということ

それより何より

社会の常識やモラル、価値観というものを

外す自由も一方にはあって

ある意味

とても危険であるということ

つまりは

タイトルにもありますように

自由は幻想に過ぎないということを

ブニュエルは

人々を嘲るかのような

シニカルな目で語りかけるのです

でも

そうはいいましても

シュルレアリストとしてのブニュエル自身は

どこまでも真の自由を追い求めた

いわば夢想家であったわけでして

本作はそんな監督の

遊び心に溢れたエピソードで彩られていて

その紡がれた映像には

自由を希求する

ブニュエルの

秘かな愉しみ

そこかしこに垣間見れて

いやあ

とっても面白い

とまあ

あまり深く考えずに

極力、先入観を取り除いて

つまりは

感性の毛穴を全開にして

観ることをオススメします

ふと

この映画を観ていて

パラドックス

逆説的な論理って

どんなものだろうかと

考えてみますに

例えば

排泄のための食事

死に刻々と近づいていく生

貧乏になるための権利

悪に染まる勇気

ネガティブを買ってでも得る

心理的な不安への欲求

潜在意識下における成功したくない

=成功するのが怖いという心理

などなど


思い当たるふしも

けっこうありますね

自由をはき違えてはいけませんが

発想の転換として

自由の幻想に浸るのも

たまにはいいかもしれませんね

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  1. 今回も楽しく読ませて頂きました。
    自由の定義は難しいものですが、映画でのそのような表現は面白いですね。
    ダリのシュールさを理解している訳ではありませんが、この監督からも同じ匂いがするのは確かです。
    しかし映画をよくこれだけ生き生きと文章で表現できるものかと、映画に対する思いの深さを感じてしまいます。
    私などビックタイトル しか映画を見ないので、とても映画ファンとは言えないのですが、いつもこのブログを読むと映画を見たくなります(笑)。ありがとうございました。

  2. チョー!

    >(株)第二営業部 教授さん
    いつもありがとうございます^ ^。
    う~ん確かに書いてて楽しかったりする自分がいますね。
    なかなか時間が取れなくて書けないのですが。。
    またぼちぼちアップさせていただきます^_−☆