“縛解一如”
前回ご紹介した
『呼吸入門』から
再度抜粋です
…
大正新教育のリーダーで
今の総合教育の基礎を作った
木下竹次は
教育に必要な本質を
非常に的確に指摘しました。
以下
人は自由を欲するとともに束縛を欲する
…思うに自由と束縛とは相対的なもので
絶対に束縛もなければ自由もないはずである。
鳥も空気の抵抗がなくては飛ばれない。
釘も木片の反対がなくてはきかない。
…束縛は自由を檄成し
束縛打破は自由行動者の愉快とするところである。
自由行動がその束縛そのものに
感謝することのすくないのは遺憾である。
これを要するに
縛解一如(=ばっかいいちにょ)
でなくてはならぬ。
帯は身体を束縛する。
しかし帯がなくては腹力がなくて
活動自在にならぬことがある。
縛即解・解即縛
学習もこの境涯に達しなくてはならぬ。
(『学習原論』明治図書)
帯を締めるというのは制限です。
制限があることによって
むしろお腹に力が入りやすくなる。
それが力を出し切るための装置となっている。
鳥も空気の抵抗がなくては飛ぶことができない。
抵抗があるから力が出せるのだと。
縛解一如
縛るのと解くのは同じだというわけです。
…
と
まあ本書では
呼吸に対する考察から
身体に負荷をかける重要性を説いていますが
いやあ
なるほどです
完全な自由
…というものが
もし仮にあったとしたら
それを自由とは思わないのかもしれません
束縛があるからこそ
人は
はじめて
自由を実感できる
なので
お互い反発し合う
いわば両極は
つまるところ
同じである、と
う~ん
御意にごさりまする
おまけ
ネットより画像を転載
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