ワンセットの法則

昨日に引き続き

またまた夢想話を

前回は

物事には両面あると書きましたが

別な言い方をすると

物事は常に二対

いわば

二つないしそれ以上のセット

で成り立っていると

僕は思っています

これはどういうことかといいますと

両極を内包してワンセット

つまり前回の話でいきますと

真面目と不真面目でワンセット

その人の

陰と陽

清と濁

なんでもいいのですが

両面、両極を見出して

初めてその人を形成するに至る、と

これは別に人の性質とかだけでなく

何にでも当てはまる話でして

どんな事柄や出来事でも

必ずそれと対になる

一つないし二つ以上の出来事が起きて

そうして初めてその出来事は相殺されて

(この言い方が正しいかどうかわかりませんが…)

完了するのです

このセットは

括りの大きさもまちまちで

目まぐるしく変化もするので

ちょっとわかりづらかったりします

まあ僕がこの法則(⁈)

一番実感するところでは

与える=与えられる

でしょうかね

与える与えられる

言葉としては正反対

でも実際はイコールなのです

人は与えることによって

与えられるのです

与えてばかりで

損だと思うかもしれませんが

その分必ず還ってきます

むしろ与えられるのは

自分が与えた分だけ

なのかもしれませんね

最近の

とっても些細な話でいきますと

先日

美容院で頭を洗ってもらったのですが

このスタッフが

なにしろ洗うのがとっても上手

いつもついそのまま眠ってしまうほどです

マッサージも気持ちよくて

ホント至福のときですね

自分が頭を洗ってもらっている姿を

少し客観的にといいますか

幽体離脱でもして(⁈)

上から眺めてみると

そうそう

いつも

僕が子供に洗ってやっている行為と同じだ

うちの子たちが

気持ちよさそうに

僕に洗ってもらっている姿が

今の僕が洗ってもらっている姿と

そのままかぶるわけで

つまり

やった行為が還ってくるんですね

って

これは単なるこじつけ

辻褄合わせの域を越えるものではありません

ですが人は

やったことに関しては

意識するしないにかかわらず

脳に残っていて

いわばアンテナが立っているわけですね

そうして自分がとった行為に対する

セット、対となる

完了するであろう行為や出来事を

おそらくは脳が勝手に探すのかな、と

なぜ完了する必要があるのかといいますと

完了しないと

脳がいつまでもその行為の残像を

保有したままになってしまい

それが溜まっていく一方なので

どんどん完了し続けたいという

モードになるのかな、と

僕はそんなようなイメージを持っていて

勝手にそう解釈しているわけです

結局は自分の中で常に調和を求めていて

無意識にバランスを保っている

ということなんでしょうかね

あるいは

はるか宇宙の見えざる力が及んでいるとか

おっと

つい訳わからんことを言っちゃっていますが

でもホント実感するところですね

このワンセットの法則

他にもいろいろありまして

例えば

断ると断られる

頼みごとを受けると受けてもらえる

失敗すると成功す

はたまた

パチンコに負けると勝つ

なんてのもありますかね

あるいは

女性に振られる

そのあとは

女性にモテるようになるかというと

まあ結果的にそうとも言えますが

正確には

振られたら

今度は自分が振ることになる

って

どっちもよくないなぁ

いずれにしても

やった行為が還ってくると考えると

つくづく悪いことはできませんね

それこそ怖くてできない

人が見ていないからとか

そういう問題ではなく

ならぬ

己に唾を吐くことになりますからね

先ほどの

与える=与えられる

です

ちょっと最後に補足しておきたいのですが

子供の頭を洗ってあげる行為の対となる行為は

先日の美容院で洗ってもらったこと

かといいますと

う~ん

実際それはその人が決めること

判断すること

そう捉えてもいいし

僕はむしろ子供が目をつぶって

気持ちよさそうに髪を洗われている

その姿を見ることそのものが

実はもうすでに

与えられている

ということになっているんじゃないか、と

なので”与えた”時点で

見方を変えれば

同時に

与えられている

そう考えると

あえて対になる行為を探す必要はなく

その行為それ自体で

もうすでに

完了

いやあ

すっかり長話をつらつらと

大変失礼しました

おまけ

なんの関係もありませんが

ニコイチ・キーホルダー

↓↓↓

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